負けたのは私であった。


月末の業務を終えた夕刻。
駅前のコンビニに立ち寄る。

わたしの前に並ぶおじさんがワンカップ大関をひとつ買う。
おじさんはセルフサービスのレンジでそれを温める。

体の冷えがそれで芯から癒される。
幸福の予感で喜色満面のおじさんの横顔を見つつ、今夜は日本酒と私も決めた。

ちょうど勢力強い寒気が日本列島に近づきつつあった。
やはりどうやら日本酒の出番であった。

近鉄阿倍野にて日本酒を求める。
酒棚を見回し、そこに置かれたなか最も値の張る伏見玉乃光を手に取った。

一升瓶を引っさげ実家へと向かう。


こたつの上に母親が作った手料理が並ぶ。
どれもこれも昔懐かしい品々だ。

その真ん中に一升瓶をどんと置く。

味も素っ気もない単なるコップに手酌で注いでゴクリ飲む。
まさに男飲み。
酒豪父子の共演だ。

凝った料理を前に昼はどうしているのかと父に聞いた。
深い考えも何もなく、何を食べているのかを素朴に聞いたのだった。

父は言った。
「何を食べているか」など息子に気にしてもらっても嬉しくはない。
親がいま「どんな風に食べているのか」を案ずる事のほうが息子としてはるかに大事なことではないだろうか。

言葉に詰まった。
たったの一度でもそのようなことを考えたことはなかった。
昼時、いま親は一人でご飯を食べているのか、夫婦で食べているのか、どんな様子で食べているのか。
思い巡らせたことなど皆無であった。

歳取れば、何を食べようがどうでもいいようなことに違いない。
そんなことよりも、食べる時間の過ごし方の方がはるかに重要であることは、少し考えれば当然のことであった。


帰途、昔なじみの銭湯に寄ってひと風呂浴びる。
この湯につかれば、遠い昔、番台に腰掛けていた気のいいお爺さん、お婆さんのことを思い出す。

湯からあがっておののいた。
おばさんに代わっていま番台に座っているのは、私が今しがたまで在りし日の姿を懐古していた当のお婆さんその人であった。

既に亡くなった、とはわたしの一人勝手な想像に過ぎなかったのだ。
聞けば93歳。

刻まれた皺は一層深くはなってはいたが、面影はそのまま、紛れもなくあのお婆さんだ。
まだ現役で働いていることに舌を巻く。

風呂屋を出る際、お婆さんが言う。
おおきに。
声は強く張りもある。
老いてなお一層健在であった。

わたし不在の場所にも日常の時は流れ、お婆さんはそこにずっと存在していたのだった。
その当たり前がとても不思議なことのように思えた。


大阪駅で乗り換え神戸線のつり革につかまる。

同じ背格好歳格好の男子が隣に立つ。
車窓に映る二人を見比べる。
時折、窓越しに目が合う。

相手はスーツにコート。
私はジップアップのジャケットにジーンズ。

相手はネクタイに革靴。
私はタートルにスニーカー。

つり革につかまる手、相手は高級時計。
私は子どもとお揃いのデジタル時計。

彼我の差は雲泥だ。

相手は一流どころのサラリーマン。
一方、私はそこらのフーテン風情。

勝負はあった。
一目瞭然、この場において軍配は相手に上がっている。

強いサウンドの曲が流れ始める。
U2のHold Me, Thrill Me, Kiss Me, Kill Meを耳にすれば、おのずと戦意が高まろうというものだ。

蛇が鎌首もたげるみたいに負けじ魂がむくりむくりと起き上がる。

同じ駅での下車となる。
私が一歩先んじる。

改札というゴール、先に駆け抜けるのは私であって彼ではない。

階段を降り、人波かいくぐって改札を目指す。
改札の向こう、街の灯が視界に入る。
私が勝ったのだ。
ピタパをタッチする。

しかし無慈悲な電子音が鳴り響いた。
行く手は塞がれた。
チャージ不足であった。

負けたのは私であった。

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