1
家内の言うとおりであった。
アクセルを踏むと左後輪からであろう微か不審音が発生する。
急発進すればそこだけガクンと沈み込むかのような振動が生じる。
ただごとではない。
車輪に何か深刻な不具合が潜んでいるに違いない。
正常に動く方のクルマを家内にあてがい違和ある方を私が引き受けた。
朝一番、おっかなびっくりしながら運転しクルマ屋へと急ぐ。
暮れも押し詰まる金曜日、どこもかしこも道路は混んでいる。
近道しようとして大阪下町の路地をさまよい、結局大幅に時間をロスすることになった。
急がば回れ。
慌てる乞食は貰いが少ない。
言い古された教訓を師走浪速の路上で学ぶ。
2
エンジニアに症状を伝えクルマを預ける。
点検に数時間かかるという。
ここから天王寺は目と鼻の先。
田中内科クリニックを訪問することにした。
この一年もこれまで同様、何から何まで家族を含め大いに助けられた。
折しもクリスマス。
営業開始の時間と同時に阿倍野近鉄に立ち寄りケーキを求める。
モロゾフのショーケースをのぞく。
左端から右端まで数えてちょうど12種類。
数がちょうど合う。
お決まりでしょうかと店員さんが言う。
指揮棒振るような大きな動作でわたしは左から右までを指差した。
一列買いにはゾクリくるような快感があった。
3
午後、市内の警備会社を訪れ作業していると電話が鳴った。
クルマ屋からだった。
不審な音の原因が分かったという。
そのエンジニアは謎解きの名人だ。
犯人はあまりに意外なところにあった。
私は絶句する。
トランクに七輪を積んでますよね。
エンジニアはそう言った。
七輪をのけて走ると物音ひとつありません。
クルマは整備行き届いてとてもいい状態を保っています。
原因は車輪ではなく七輪にあった。
車輪ではなく七輪。
家内が積んだものに違いなかった。
実家に借りたのを返すつもりだったのだろう。
私自身が積んだ当事者なら、物音に関し七輪の関与を類推できたはずである。
知らねばそれを想起するなどできるはずもない。
路地で迷って徒過した今朝の時間が走馬灯のように蘇る。
まもなく仕事納め、この時期であれば時間の無駄もまた一興と思うしかない。
テクノロジーの力は不要であったが問題が解決したことには変わりない、そう自らに言い聞かせる。
エンジニアが言う。
オイル交換の時期ですね。
悪いね頼むよと伝え電話を切った。
4
家内からメールが届く。
いま有田焼を見て回っているという。
今日から家内はクリスマス休暇。
九州へとひとり旅立っていた。
家事からひととき解き放たれ、羽を伸ばす家内の様子を思い浮かべる。
こちらまで旅先でくつろぐかのよう、ふんわりとした優しい気分に包まれる。
昨年の年末は二男の受験を間近に控え息詰め根詰め痺れるような憔悴を余儀なくされた。
二年前も送り迎えに弁当作り。
ひとり旅など望むべくもなかった。
三年前は長男の受験が差し迫っていた。
ラグビーに明け暮れ過ぎた長男の終盤はまさに大爆走するような追い上げの時期。
それに伴走するようなものであったので息つき気の休まる猶予など一かけらもない年末であった。
今年からやっとのこと家内も人間らしい年末年始を過ごすことができる。
家内のクリスマス休暇は今後定番の恒例行事となることであろう。
家内がリフレッシュできその明るさ元気さを増すのであれば家族一同願ったり叶ったりのことである。
5
点検を終えたクルマに乗って事務所へと戻る。
ちょうど駐車場に停めたところでツバメ君から連絡があった。
年末の大一番、申請案件がすべてが滞りなく受理されたとの報せであった。
いよいよ大詰め、千秋楽を来週月曜日に残すのみ。
土俵に上がるのはもちろん当事務所エースーのジョーであるツバメ君。
まもなく2015年の最終業務を終えることになる。
わたしにとって御用納めの日は過ぎ去った一年の労苦を懐かしく振り返る時の時。
心底感じ入るような時間に佇む幸福に今から震えのようなものさえ感じる。
6
雹が降るなかクルマを走らせ家路についた。
家では子らがリビングで憩っている。
年末特有のスローダウンしてゆく時間にたゆたい二人並んでビデオに見入っている。
わたしもそこに割って入って寝転がる。
「リーガル・ハイ」をはじめて目にした。
パワフル自在、自己増殖するかのように炸裂の度を増していく堺雅人の演技が凄まじい。
これは凄い、ジム・キャリーの上を行っている。
目が離せなくなり子らにつられて私も数話立て続けに見ることになった。
7
さすがに血を分けた親子。
腹時計が同時に鳴った。
連れ立って夕飯に出かける。
家内不在、つまり政権空白の日。
解き放たれた男子三人は何を食べるも自由である。
「こだるま」はどうだろう。
長男がそう提案する。
最近オープンしたばかりの店だ。
以前そこには「ありがた屋」があった。
重宝する居酒屋だったがいつのまにやら賑やかさを失い廃れ寂れ果てていた。
足が遠のいていたところ、案の定閉店となり居抜きでそこに現れたのだが「こだるま」であった。
オープンしたばかりだからだろうか、安いからだろうか、連日混み合っている。
店をのぞくが空席はなかった。
では焼き鳥の「はる」はどうか。
二男がプランBを議場に諮る。
しかしこの日は金曜クリスマス、しかも満月。
「はる」も満席であった。
では、と駅の南口へと探索の場を移す。
長男が串かつを食べたいというのでダメ元で「串笑門」の暖簾をくぐる。
幸いテーブルに空きがあった。
ここは串かつだけでなく様々な料理が取り揃いどれもこれもなかなかいい線行っている。
接客も丁寧で感じがいい。
子らは食べまくった。
甚く気に入ったようで、興味そそられるメニューを片っ端から頼んではパクついていく。
子の食べっぷりに心が和む。
写真を数枚撮って家内に送る。
家内にしてみれば彼ら二人は永遠のベイビー・ボーイ。
旅先にあって何かしみじみとしたものを感じたことであろう。
8
夜も引き続きリビングの床暖から離れることなくのんびり安らいで過ごす彼らであった。
深夜様子を見ると毛布にくるまって二人並んで寝入っていた。
電気は点けっぱなし。
あたりは散らかり放題。
母がいないとたちまちカオス。
家内がいることで規律が保たれ秩序が自生する。
一晩不在となっただけでこのとおりすべて瓦解し子はサルへと退行し始める。
家内の負う役割がとてもよく理解できる一夜となった。
子らが規律と秩序を非の打ち所ないほど内面化するまでにはいましばらくの時間と親という補助輪を要するようだ。
最もたいへんな時期は過ぎたとの実感はあるが、まだまだ手がかかるのもまた確かなことのようである。