KORANIKATARU

子らに語る時々日記

誰にとっても過酷な消耗戦だった


はじめて訪れる場所であった。
グーグルマップを見ながら歩く。

河川が流れる両岸に大きな工場が立ち並ぶ。
すでに一帯は年末年始の休暇に入っている。

人の気配はなく行き交う車両もない。
煙突から立ち昇る煙もなく空はひっそり控えめな青を湛えている。

静止画のなかにあるかのよう。
橋を渡って川を横切る。

背後に控える工場群とは景色がうってかわる。
街へと続く生活道路には侘びしいような町工場が軒を連ねている。

各種各様の町工場がくたびれ果て路傍にうずくまっている。
物音ひとつない。
廃墟にあるかのような心細さが迫り、歩調が早まる。


高速の高架下をくぐってひとつ道路を隔てると用途地域が変わる。
住居らしき建物が目立ってくる。

車両の流れが増してくる。
道幅は狭いが対抗二車線。
歩道はない。

クルマが行き過ぎる度、建物の壁に這って張り付くようにして歩く。
歩くこと自体に身の危険を感じる。

クルマの向こうを張って道路を行くようなもの。
好き好んで散歩するような道ではない。
人影はない。

屋根の合間からときおり青空はのぞくが雑居地帯の古びた建物に視界を遮られなんとも沈痛な面持ちとなってくる。


用事を済ませ、もと来た長い道を駅まで戻る。

クルマの気配に注意しながら振り返りつつ歩く。
夕刻間近、遠く川から吹き付ける風が冷たさを増している。

やっと一年が終わった。
あれやこれやの出来事を思いつつ無表情に歩を進める。

結構な頻度で日記を書いているが一月前半と三月前半はまるまるお留守。
それどころではなかった。

一月前半と言えばほぼ一年前。
中学受験の最終局面。
仲間内の誰にとっても消耗と憔悴の時間であった。

いまこの道を行く私は至って平静寡黙だが、一年前は四六時中不安感が押し寄せてくるかのような極度の緊張状態にあった。
自らの動悸が耳鳴りのように響き渡って止まない。
そこまで切迫し、いてもたってもいられない、という状態であった。

渦中にあって麻痺していただけで、今思えば、異常間際であったというしかない。


誰にとっても結果は未知であった。
結果を前にしては受け身であるしかなかった。

蓋を開ける。
未知が既知となる。

感情がうねりうねる波のようになって押し寄せてくる。

その波をかぶって立ち尽くす。
ほっと胸撫で下ろすような脱力か茫然自失となる放心か。
突き詰めればどちらも同じようなことの裏表でしかない。

精神的に野ざらしにされるこの経験は美化など寄せ付けない。
良きにつけ悪しきにつけ、単に一言、消耗、としか言いようがない。


二男を連れて大福湯へと向かう。
周辺の駐車場は満杯であった。

上方温泉一休へと行先を変える。
駐車場は混み合っていたが、なんとか空いた一隅を見つけクルマを停めた。

嫌な予感がしたとおり、館内は雑踏さながらであった。

気持ちは萎えるがここまできて引き返す気も起きない。
二男を引き連れ脱衣場に向かいその混み具合に更に辟易するも腹を決めてお湯場へと突入した。

しかしそこは、暴力的とでも言うしかないカオスのような様相であった。
私は早々に退散した。

生来、人混みは不得手だ。
すし詰めのなかに置かれるとやるせないような心貧しい気持ちとなって平穏を保てない。

しかし二男は平気であった。
押し合いへし合いをかいくぐり、いつもどおりの湯浴みの手順を経たようであった。

お風呂を満喫した様子の二男を乗せ、家路についた。
途中、酒屋で久保田と八海山の上等物を買う。

大晦日、そして元旦。
親父と呑む。

やれやれ、今年も無事に終わった。
一升瓶を手にしてはじめて心がホッとほどけた。

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