大晦日の夜を実家で過ごす。
恒例のてっちり。
世の中で最もおいしいものはてっちり。
我らの合い言葉である。
てっちりを食べれば家族の結束が更に強固なものとなる。
もちろん、実際の最高美味はクエであるとわたしたちは知っている。
がしかし、そう滅多に口にする機会はない。
てっちりを最高位に掲げるのが現実に即しているというものであろう。
親父と飲むなら日本酒がふさわしい。
この日わたしは八海山を持参した。
酒がすすみ食がすすむ。
会話も盛んとなる。
2015年最終の夜。
皆が無事にここまで到達した。
感謝に堪えない。
そしてこれからもずっとそう。
そう願う。
しかし、なぜかしんみりとし涙が込み上げてくる。
四十代も半ばを過ぎたからか、感情過多。
光陰矢の如し、両親はずいぶんと歳をとった。
親を交えたこのような温かな食卓はいつかは終わる。
そうチラとイメージするだけでうっすら目に涙が浮かんでしまう。
縁起でもないことであるので口には出さない。
ただただわたしは涙ぐむ。
親は思いを察しているのだろう、何も問わない。
二男は実家に泊まり、長男は自宅へと戻る。
わたしは遅くまで親父と飲んでひとり電車で帰途についた。
かつてのしんと静まる暗がりとは様変わり。
大晦日なのに結構な数のお店が営業していて街が明るい。
わたしはぶらりと寄り道し、らーめんのまこと屋に向かう。
一年前の大晦日。
二男は塾で集結特訓があった。
志望校模試を終えた帰途、ここで夕飯をとったと聞かされていた。
激闘の思い出を反芻しながら、平穏な大晦日の締め括りとしてわたしも訪れてみたのだった。
がら空きのカウンターで全部のせラーメンをひとり寡黙に賞味する。
最高美味はらーめんかもしれない。
酔った味覚にとてもよくマッチする。
この一年、ほんとうに幸せだった。
そう噛み締める。
腹ごしらえは整った。
新たな一年においても、この幸福を何としても守り抜きたい。