1
朝から夕までさんざお酒を飲んだ元旦であったが、明くる日、朝5時には目が覚めた。
二日酔いのだるさは微塵もなくむしろ爽快。
ストレスから解放された状態が愛おしく、この平穏にぎゅっと抱き締め続けられたいと夢想するが、世迷言はほどほどにして風呂を焚く。
正月二日目は優雅に朝風呂からはじめることにする。
支度していると洗面台の横に未返却のツタヤDVDが置き放しになっていることに気づく。
期限は過ぎこの日午前中までに返却しないと超過料金の対象となる。
長男が置き忘れたに違いなかった。
様子が頭に浮かぶ。
彼はDVDを返却するつもりで持って出ようと携えた。
しかし、洗面所に寄る。
一瞬手を離す。
かたわらに置いたまま鏡などみる。
このとき、DVDは一気呵成、意識の外へと走り去っていった。
身繕いを終えた彼は意気揚々。
DVDのことなど百年前の彼女のことみたく一欠片も頭にない。
よくあることである。
致命的な忘れ物の発生箇所は玄関つづいては洗面所と相場が決まっている。
準備万端と思った一瞬、隙が生じる。
ちょっとしたことであっても、不手際は優雅な気分に影を落とす。
この期に及んでDVDを返却しなければならないのは、わたしに他ならなかった。
しかもこの日午前中までである。
出かける用事がある。
雑用などさっさと済まさなければならない。
返却に要する時間を勘定にいれて予定を検算すると、とてもモタモタなどしていられない。
気が急くので早々に風呂を上がる。
すべてのことが意外な関連をもって作用し合っている。
南米で蝶が羽ばたき、どこかで竜巻が起き、長男がDVDを置き忘れ、私が明け方の町を疾走する。
2
朝6時、正月二日目の街は昏昏と眠って静まり返っている。
静寂を波しぶきのように跳ね上げながらクルマを走らせる。
細く長い商店街の通りに差し掛かる。
見渡す先の先まで闇に覆われている。
文字通り、お先真っ暗。
街の臓腑の奥深くへとアクセル踏んで突き進んでいく。
暗がりのなか、ときおり人影が見える。
駅に向かって歩く勤め人風の方々だ。
正月二日目、土曜日の朝、当たり前のことだが誰かは働かねばならないのであった。
幾人もの人が勤め先へと向かい、そして私はツタヤへ向かう。
わたしたちは目に見えない義務という荷縄でぐるぐる巻きにされているようなものなのだ。
3
大通りに出る。
ツタヤはこの先にある。
まだ夜の明ける気配はない。
あたり一帯が依然しぶとく真っ暗なままだ。
駅が近づく。
まもなくツタヤというところ。
暗闇の路上、何人もの人が立っていることに気付く。
少し距離を置いて寄り集まり、複数の小集団が形成されている。
あちらこちら、白い息が幾筋も束となって立ち昇る。
路側帯にはマイクロバスが数台停車している。
車両のボディには食品会社の工場名が記されている。
どうやらここは労働者のピックアップ地点のようである。
正月二日目、土曜日未明。
マイクロバスに揺られここから臨海地区の工場へと向かう。
正月だと言っても誰かは必ず働かねばならないのだ。
荷縄でぐるぐる巻きにされた私にもまもなく「バス」の迎えがやってくる。
4
自宅にとって返し電車で大阪へと向かう。
天王寺までの車中。
私の前に座る年若いアジア女子が自撮りしている。
まま美形だ。
シート窓側の隙間からその画面が間近に見える。
様々な種類の微笑、一括りに言えば気取ったような表情が私の眼前に迫る。
雑誌のモデルさながら陰に陽にと微笑みのバリエーションが増えていく。
SNSなどでよくあるような、勘違いもお構いなし、その気になったかのような表情と言えばイメージしやすいだろう。
真後ろにいる誰かにそれが筒抜け丸見えだと彼女は夢にも思わないのであろう。
そんな生々しいような舞台裏、人に見られた日にゃ私であれば死にたくなる。
見るともなし見ていて、わたし自身が面映ゆいような気持ちに苛まれる。
リアルタイムで繰り広げられる自意識の舞踊を目の当たりにし、行き場のない窮屈さすら覚える。
しかし、段々と目が慣れてくる。
目が慣れて、そして、次の段階。
奇妙な感に囚われた。
誰がどうというわけでない、人類一般の無名の自意識がその空間に浮かんで、何かを欲して蠢くみたいにグニャリグニャリと蠕動している。
そのように見えてきた。
そしてこれがヒトなのだという、二念のないさっぱり感が湧き上がる。
わたしは違うといったところで、誰だって同じこと。
人のことは言えない。
自我が発動して止むに止まれず、誰だってグニャリグニャリと蠕動する。
よく見せたいという自己イメージを具現しようとしてなのか、はたまたもっと異なる何かを欲してのことなのか、誰一人例外なくわたしたちはそのグニャリグニャリから無縁ではいられない。
5
天王寺駅で乗り換える。
快速待ちのホームで西大和の生徒を見かける。
手にテキストを持っている。
受験生であればお屠蘇気分とは縁遠い。
そしてどうやら彼の学校もそのようだ。
出足が早いというには早過ぎる。
正月二日目、土曜日の朝。
日本中の時間が歩を緩やかにしている真っ最中、その伸び縮みに惑わされることなく真っ直ぐ突き進む一群の気迫を垣間見たようなものである。
6
三ヶ日が終わり、そろそろ現場へと戻る時間が迫りつつある。
昨年、下地はできた。
今年は更に仕事を前進させ人生後半戦のひとつの大きな転換点にしたいと企んでいる。
そうするためにも、この日電車で見かけたアジア女子の微笑から学ぶところは大であるかもしれない。
グニャリグニャリなどさもないかのように素の顔で覆って振る舞うことはある種の気取りであろう。
むしろこちらの方が遠回しな分だけあざとく持って回って面倒くさい。
照れず恥じずにグニャリグニャリを表に出すくらいの方がとっつきやすくて却ってけれんがない。
よく見られたい、よく見せたいと分かりやすく振る舞う方が、人として筋が通っていて交流も円滑となる。
おそらくそうに違いないとアジア女子が気付かせてくれた。