レジでお釣りをもらう際、店員さんの手に目が行くことは避けられない。
顔立ちから私と同じ年頃かそれより下と思えても、手だけがやたらにくたびれ果てた様子であることがままあって、その度に視線のやり場に困るような思いがする。
かさつき、ひび割れた手の紋様が、表舞台である顔立ちのその舞台裏の様子を寡黙に物語る。
見えるはずのない暮らしの風貌がそこに立ち現れる。
指先に熱帯魚のウロコでも刺さっているのかと思わせるような、けばけばしい手が発する虚飾の賑やかさとは正反対。
野ざらしにされ続けた枯れ木のごとく、いたわれることなく、いまではすっかり白くささくれてしまったその手は身も蓋もなく物悲しい。
もし私に娘がいて、そのようなやつれた手をしていたなら胸裂かれるような思いに襲われることだろう。
私には縁もゆかりもない店員さんではあるが、いまも引き続き誰かにとっては可愛い可愛い娘であるに違いない。
いつかきっと。
私だって同じ。
いつかきっと、いいことがある。
そう信じて生きている。