KORANIKATARU

子らに語る時々日記

天高く勝ち馬肥ゆる秋

大学入試制度が大きく変わる。
現在の中1からが対象だ。

激変とも言うべき制度変更であるようなので今の中2はウカウカしていられない。
先輩らのように高校時代を謳歌しすぎて浪人する羽目となれば制度のはざまで翻弄されることになりかねない。

今朝発売のアエラにその概要が記されている。

詳細は未定だというものの試験の趣旨がこれだけ変われば大改革であると言うしかない。
センター試験も各大学の試験も様変わりする。

一発勝負であったセンター試験が複数回となる。
数学や国語に記述式が導入される。
英語では「読む・聞く」にとどまらず「話す・書く」という能力も問われることになる。

全般に渡って脱暗記が図られ「思考力・判断力・表現力」が重視される。
そして、評価は一点刻みではなく、格付け制。

甲乙丙丁松竹梅といった感じだろうか。

これまでは序列があっても暗黙の了解事項であって境界は曖昧なものであった。
が、そこに明確な線引が為されることになる。

日本人はこのような等級に関しては一族総出、先祖末代に渡って敏感だ。

試験が複数回となって、どこかで本気を出せばいいといった余裕が生じるよりも、「ワンランクアップ」を合言葉に「ワッン、ラーンク、アップするぞ」と気合いの言葉を連呼して、複数回を全力疾走、精根尽き果てるまで試験にその身を捧げるといった図が浮かぶ。

そして各大学の選抜試験の方法も抜本的にその様相を変えることになる。
欲しい学生像をそれぞれの大学が打ち出す。
面接や討論、論文や高校の調査書などを材料に適・不適が決せられる。

従来のように知識を身につけその内容をきちんと理解しているだけでは足りず、言わばその来歴や人物像にまでも焦点が当てられることになる。

これは厄介なことであるように思える。

品行方正に振るまい覚え愛でたくあるようにスポーツに励みボランティアに従事し興味なくとも見聞広め面倒くさいけれど文化的な活動にも参加するといったことが暗に強要されるといったことになりはしないだろうか。
自ら進んでではなく、今回の制度変更が不本意を忍従させるという方向に作用するのであれば、結果的には良き開眼などが個々においてあり得たとしても、小ウソだらけの小さな優等生が跋扈するような気味悪い未来図が浮かばないこともない。

いずれにせよ、今後は単に勉強するだけでは全く足りず、他のこと、訴求効果ありそうなアクティビティをそつなくこなし、かつ、人受けするような振る舞いや態度も身につける必要があってお金もかかって時間もかかるし今より一層たいへんであることは間違いのないことであろう。

軌を一にしてのことなのか、一昨年にはスーパーグローバル大学事業が始まり、世界を目指すべき大学が選別され、そして、昨今では、エリート教育を施すグローバル型大学と地域産業に従事する職能者を養成するためのローカル型大学の分別の必要性が語られ始めている。

それら選別や分別の合理的意義とはまた別途、否応なくその副産物として、出身大学が有する学生の価値についての表示機能がより鮮明に不可逆的に強まっていくことになるのであろう。

新しい身分制が教育の世界からもたらされる。
一瞬それを逆説的なことであると思うものの、少し考えれば、教育の本質が身分と不即不離なことであるとすぐに気付かされる。
いまの時代趨勢においてこの入試制度改革は不可避な事と言えるのかもしれない。

つい先日、世界のトップ1%の資産がその他人類99%の資産を上回り、上位62人の富が世界下層36億人分の資産の総和に等しいといった衝撃のニュースが駆け巡ったばかりであった。

格差が加速化していくような力学が随所で作用し、そのロジックはあからさまには尻尾を出さないけれど、いろいろなことが底流でつながっているように思える。

天高く勝ち馬肥ゆる秋といった世相が強まっていく。

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