1
北新地駅に到着したとき流れる曲が「ハチのムサシは死んだのさ」に変わった。
耳にしていたのはマーキーミュージックモード。
突拍子もなく懐かしい曲がかかって血沸き肉踊る。
だから結局いちばん聞き馴染む番組となっている。
子らにも聴かせなければならない名曲だ。
奮闘むなしく敗れ去るハチのムサシを思いつつ地下街を進む。
いつかはみんな敗れ去る。
カエルだってアメンボだって。
ハチのムサシも例外ではない。
北新地を訪れればたいていの男子がそうであるようにレオニダスに寄る。
ちょっと値の張るチョコの詰め合わせを買う。
家で留守番する連れ合いへのみやげとして忘れるわけにはいかない。
アバンザの階段をつたって地上へと出る。
夜になって一層冷たさを増した空気が全身にまといついてブルル震える。
帽子を目深に被りマフラーで首から顎までを覆う。
午後8時前宵の口、北新地は俄然活気づいている。
行き過ぎるド派手顕示過多な女性らが艶めかしい。
左右上下に見とれつつ飲み会の場となる「恒雅」へと向かう。
2
中国では春節の時期。
上海から一時帰国したマッチャンを囲んで一杯飲もうという会がこの日開かれた。
屋号「恒雅」はマッチャンの「雅」の字を含む。
細部まで凝る数学マニア岡本くんらしい心憎い演出だ。
思い返せば二年前の師走。
マッチャンを上海へと送り出す壮行会が催された。
当時の日記「マッチャン壮行会」に記したようにこのときは「アンコール」という名作を観てから会場に駆けつけた。
泣けて泣けて嗚咽避けられない映画であった。
そのせいでわたしの記憶のなかマッチャン壮行会については涙なしには語れない。
3
大阪星光33期の面々に加えて美人女医がお二方。
マッチャンのピンチを天才軽業師のごとく見事華麗に救ったハエチャンも勿論参加している。
ハエチャンの愛息子の写真を見せてもらう。
そこに写っていたのはそっくり瓜二つのミニハエチャン。
偉い先生になっても我らにとっては終生ハエチャン。
だから当然ご子息もハエチャンつながりで呼称されることになる。
さんざ飲んで喋って大賑わい。
セーケ、タカオカ、タニグチ、ヤーマダらもやんや騒いで大いに盛り上がっている。
中学高校の6年はあっという間に過ぎ去り本腰入れて話し合うには短すぎた。
しかし時はめぐる。
それぞれが落ち着き、腰据えてまた相まみえることができるようになった。
このところは更に会う機会が増えてきた。
当時十代であった頃の6年間は先々についてのちょっとした予告編のようなものであったということである。
人生は長く、話す時間は山ほどもある。
これからが本番。
話は尽きず、今日はこれくらいにしといたろかと思う頃合いには日付も変わっていた。
帰宅したのは未明2時。
ハチのムサシらはまだまだしぶとく生き延び続ける。