KORANIKATARU

子らに語る時々日記

飲み会では知らぬ人の前に座るのがいい

大勢集まるような飲み会では知らぬ人の前に座るのがいい。

顔は何度かお見かけしているが、その背景も素性も何も知らない。
話の取っ掛かりがないので最初は何とも気まずいような空気に沈まざるを得ない。

しかしお酒が燃料となって間はだんだんと暖まってくる。
そうなるとあら不思議、接点がいくつも見つかり始める。

例えば、人間として、男子として、子を持つ親として、至るところに共通項があって実のところは接点だらけ。
何を取り上げても、それがボールとなってこちらとあちらのコートを行き来することになる。

この日は、まったく思いがけないことに天王寺公園のことで大いに話が盛り上がった。
日頃全く意識することはなく、たいていの人がそうであるように、このときもその話題となるすんでのところまで天王寺公園のての字すら意識の表面に上ることはなかった。

わたしの前に座る古老はすでに隠居された身の方であった。

現役時代、これはしびれた、といった仕事がたくさんあったんじゃないですか。
こう問うた後、古老は饒舌となった。

今を遡ること10年以上も昔の話。
古老は一世一代の大仕事に臨もうとしていた。
冷え込む師走の某日、大阪市が天王寺公園で強制代執行を行った。

その行政側の責任者が、古老その人であった。

いまでは様変わりしてしまったが、天王寺公園と言えば他に対抗馬が見当たらないほどのダントツさでディープを極め、大阪の底知れない影の一面が如実端的にさらけ出されたような場所であった。

その天王寺公園の名物が青空カラオケであった。
天王寺動物園へと続く公園内の通路にカラオケの屋台が並び、何やらよく分からないような風体の者らが一曲百円で美声を競い熱唱し合っていた。

異様な光景であった。
マッドマックス怒りのデスロードも真っ青といったくらいのぶっ飛んだ奇奇怪怪さであった。

気の弱いお坊ちゃまお嬢ちゃまであれば、恐怖で泣き出すどころではなく、長じてまで悪い夢にうなされ続けることになるだろうといった衝撃度であった。
あなおそろしや大阪。

わたしがそれを目にしたのはちょうど子が生まれて間もない頃のことだった。
子がいれば誰だって動物園に行く。
わたしも例外ではなかった。

バギーを押しつつわたしは圧倒され子は怖がってそして家内は戦慄した。

治外法権。
そこは彼らの世界であった。
その存在感はゾウやカバなどを遥かに凌駕するものであった。

だからいつかは行政が重い腰を上げざるを得なかった。
あまりに度が過ぎていた。
騒音だけならまだ見過ごせたのだろう。
しかし、そこはもはや大阪という地の領域内とはいえず、何か別種の独立国のような様相を呈し始めていた。

古老は彼らを撤収させるため長く時間をかけ説得にあたった。
ほとんど無宿者といった者らが屋台カラオケを営んでいた。
話をするうち、彼らの世界にも彼らなりの秩序があり社会があるのだと知った。

青空が支配する何とも分かりやすいような明快な世界であった。
そのような生き方もありかもしれない、そこまで思うまで彼らと膝つき合わせ、彼らの立場を理解するまでになった。

しかし、背後に控えるおっかない連中が糸を引いていて、結局は彼らを食い物にしているだけであるという構図も明らかとなってきた。
やはり見過ごす訳にはいかなかった。

古老がその責任者であった。

師走の冷え込む某日。
最後まで居残る屋台を撤去する作業は明け方から始まった。
すべて撤去し終わったのは夕方だった。

危害加えられることなく職員全員が無事であった。
それが何よりであり、肩の荷が降りたような安堵を覚え古老は感極まった。

古老に酒を注ぎ、古老はわたしに酒を注ぐ。
場所は王寺の鶴亀。
女将がこしらえる手料理が素晴らしく、酌み交わす酒はどこまでも味わい深い。

バギーを押して動物園へと出かけた若き我が家の一シーンをわたしは懐かしく思い出し、古老はかつての修羅場を感慨深げに振り返る。

行方知らずであったような思い出の断片が蘇り、そこに異なる誰かの思い出が交差する。
なんと豊かなことだろう。
飲み会では知らぬ人と話してみるのが、面白い。

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