1
午後7時過ぎ、JR芦屋駅に到着した。
改札を抜け右手に折れる。
駅から続くアプローチを伝って北へと進む。
風が冷たい。
立ち止まってマフラーを巻き直す。
陸橋越し街を見下ろす。
ここは芦屋。
普通の場所ではない。
誰かが言った。
上には上がいる世界。
お金持ちが頭上はるか見上げるほどの大金持ちがわんさか暮らしている。
その様を一言で表すとすれば、芦屋アルプス。
高き富裕な山々が連なって屹立する地帯であり関西の屋根を成す。
実際芦屋は先ごろ発表された一人あたりの所得ランキングにおいて、全国4位であった。
日本経済の中心地である東京圏の市町村が軒並み顔を揃えるなか、その一角を占めたのであるから空恐ろしい。
地べたの凹み程度のわたしのような存在からすれば、そのてっぺんは視界のはるか先にある。
2
芦屋は普通の場所ではない。
独特の空気がある。
遡ることはるか昔のこと、若きわたしは用事があって芦屋の通りをひとり歩いていた。
秋たけなわの頃。
街は柔らな陽射し受けて輝き金木犀の香りにふんわりと包まれていた。
そして何の前触れもなく、独立しようとの考えが舞い降りてきた。
まさに、舞い降りた、としか言いようのない唐突さであった。
勤め人などやってられない。
そう思った瞬間の記憶はいまも鮮明だ。
自らの原点のような思い出を懐かしみつつ、ラポルテの本館を超え北館の手前で歩道に降りる。
安愚楽は交差点角のビルの地下にあった。
待ち合わせの時間には早いが店の引き戸を開けた。
カウンター席のみの店であった。
10席並ぶうち角に位置する場所に腰掛けた。
端っこの席に先客がある。
その二人の話を聞くともなし耳にしながら、静かにビールを飲み友人らの到来を待つ。
話の内容から察するに、先客はどうやら弁護士の先生らであるようだった。
3
定刻、店を予約してくれたタニグチが現れた。
乾杯しケンブリッジについて話す。
先日、うちの二男が「博士と彼女のセオリー」を観ていた。
そこに映るケンブリッジの街は息を呑むほどの美しさであった。
タニグチは医師としてその地で仕事し家族で暮らしたのだから、なんと羨ましい話だろう。
引き戸が開き、続いて現れたのはタローであった。
どうやら急な手術は入らなかったようだ。
昨夏、北海道旅行の際、最果ての地でばったり出合って以来の再会となる。
全く同じホテルに宿泊し、チェックアウトの際、互いの家族勢揃いで出くわした。
その旅行ではタロー家も我が家もそれぞれクマに遭遇していたが、その遭遇以上の驚きであった。
次々引き戸が開き、席が埋まっていく。
老後の楽しみとしていまチェロを習い始めていると天六のいんちょが語って、チェロつながりでタカオカさんと意気投合し、その流れで、この日最後に姿を現したカネちゃんがなんとピアノの名手であるということも明らかとなった。
ピアノが弾けるなど大阪下町の少年らの会話においては口が裂けても言えなかったことなのであろう。
それがここ芦屋ではごくごくありきたりな話となる。
タニグチについては先々まで取り組むアクティビティはカメラであり、オカモトについては数学がある限り老いても飽きることはないようだ。
タローは手術、わたしの場合はこの日記ということになるだろうか。
丹念な下拵がなされた凝った料理をあてに各地名産の日本酒を味わう。
お店のこじんまり感がとてもいい。
旧交温めるのに格好の場となった。
4
二軒目はアベが席を予約してくれた。
バー・サラバ。
さすが芦屋といった趣きの落ち着いた店。
とても雰囲気が良い。
更に輪が縮まって親密さが増していく。
思い思いグラスを傾ける時間がゆっくりと過ぎていく。
チーズ盛り合わせがとても美味しく皆で手を伸ばし分け合って食べる。
医学部の教授であるアベの兄貴も実は星光出身なのだと知って親しみを覚えつつ、いつしか場は子育て談義で盛り上がりはじめた。
感動の名作リトル・ダンサーについてアベと話し合い、そしてその話が起点となって、子が生まれた瞬間の感動を皆で語り合うことになった。
ぶるると震えたという話。
命のバトンが引き継がれ、やがて自身は老い死んでいくのだと実感したという話。
子が二十歳になったときの年齢を強く意識するようになったという話。
まもなく深夜0時に差し掛かる。
芦屋のバーの一隅で、33期星のしるべらが、子への深い愛情に満ちた話を交わし合う。
カラダ小さく制服さえダボダボであったかつての少年らは、今では子の親となった。
よき職業人として日夜仕事に精を出し、よき父、よき夫として家族を懸命に守っている。
いついつまでも星光生。
黒姫山荘や南部学舎でそうであったように、話はいつまでも尽きず終わらない。