KORANIKATARU

子らに語る時々日記

あまりに傑作、わたしは最後に拍手した

駅前の回転寿司で夕飯を済ませ家でひとり過ごす。
たまにはこのような時間も必要だ。

ネジを緩めて心静かにしていれば少しばかりは鬱屈したような内面もやがてはすっかり換気されていく。

コツコツ真面目に暮らしていれば心配事は極小であるはずだが、それでも全く無縁にという訳にはいかない。
押し寄せるどんな些事雑事のなかにも心配や不安を引き起こす種が内包されている。

ウキウキワクワクルンルン、いくら明るく眩しいような日々を過ごしていても、その日常を彩る光の淵には必ず影がつきまとうのである。

漠とした不安や心配はいくら些細なものであっても放置すれば自己増殖をしはじめる。
よくないことが起こるのではと何かが心にちらつく。
厄介なことが降り掛かるのではと何となく胸騒ぎがする。

意識のバックグランドでは、増え続ける犯人に揺さぶられ放しという出来の悪い捕物帳が展開されて、心的エネルギーが底なしで費消されるということになる。

だから、定期的、内面の雑草を刈るみたいな作業が不可欠となる。
気がかりなことを自らに問いその軽重を見極めるだけでも除草がなされ、見晴らしは見違える。

たいていは取るに足りぬことであり、不安材料として非現実なことであり、頭を悩ますに及ばぬことばかりだと正視した瞬間に気づくことができる。
もし回避しようのない深刻な問題があれば、じたばたせず覚悟を決めるだけのことであり、腹さえ決まれば気も落ち着く。

除草作業の後には景気付け、なにか楽しいことでもすれば明日への弾みとなる。

空前の大ヒットを記録した「恋する輪廻」のDVDが手元に届いたばかりだった。
だから当然、この日のわたしの景気付けはインド映画となった。

これが大正解で効果てきめん。
娯楽の金字塔と言っても過言ではない名作だ。

歌って踊って、笑いがあって涙があって、そして歌って踊る。
こんなに楽しい映画はそうそうなく、すっかり心晴れ晴れ、これぞまさにカタルシスという映画体験となった。

眼前に繰り広げられる躍動が痛快であり、この映画を大いに楽しみ喜ぶ人々の姿が思い浮かんで人として分け隔てのない共感のようなものがふわふわと込み上がり、とても楽しくとても温かな気持ちになることができた。
大満足というしかなく、わたしは最後にひとりで拍手した。