ひとり夜道を走るわたしの右横を自転車が過ぎてゆく。
長男だ。
しかし彼はわたしに気付かない。
追って声をかけようと思ってやめる。
彼は彼の時間のなかにある。
邪魔せぬ方がいい。
二男は一足先に西北へ向かっている。
各自それぞれの時間のなかにある。
別の場所には別の顔ぶれがあって別の時間が流れている。
西北に行けば、全員が他所の学校、なかには昔の勉強仲間もいる。
神戸に行けば、これまた全員が異なる学校、学年も様々、なかにはかつてのラグビー仲間がいる。
あれこれたいへんではあっても、そのような多岐に渡る場面の負荷に晒されてこそ自分濃度の濃淡を自在に操れるようになるだろう。
自分濃度の自在な調節ができてこそ、よき仕事が結実する。
スイッチオンのまま、あるときは自分を濃くし出力を上げ、またあるときは我を薄くし状況への適応を優先させる。
おそらくこの先一生、仕事人。
元気ハツラツ胸はって、時には淡々積み上げて、よき仕事を果たす男子になってもらいたい。
様々な場に属し、多様な時間のなかに身を置く。
そのことで自分濃度を調節するセンスが練磨される。
状況に合わせて意識をパッと切り替えられることが、有能であるための男子必須の要件だろう。
スイッチをオフにしダラダラとする無為な時間やキャッキャはしゃぐ忘我の時間もたまにはいいが、それに長く浸かると意識耐性はとどめどなく弱化し濃淡メリハリないわたしのようなしょうもない不出来者となりかねない。
場に応じ自らに発破をかけあるいは自らを抑制する。
そのような統制感のもと自分に向き合えるようになれば、時間遊泳はより一層楽しく味わい深くかつ実り多いものになっていくに違いない。