KORANIKATARU

子らに語る時々日記

いざ始まれば何てことはない

何年もやっているのに仕事で緊張することがある。
駆け出しの頃に比べ肩の力も抜け飄々と様々な局面を渡り歩く日々であるが、時折は吠えて唸るような決死の形相を余儀なくされる。

一歩も譲れない、こちらは背水の陣である、そんな切迫感を身にまとえば仕事においては追い風となるが、顔はこわばり神経張り詰めカラダには負担となって楽ではない。

そのように気合高めて自らを鼓舞しつつあったとき、ふと朝日新聞の折々のことばに目が留まった。
「仕事はお芝居でしょ」とある。

自身が置かれたいまの状況が他人事のように思えて、一気に心が安らいだ。
なるほど、いまわたしは役作りをしているようなものであり、後ほど自分の役柄を演じるだけのことなのだ。

「背水の陣」と「背水の陣という設定」では大違い。
設定である方が、のびのび奔放な出力となってよいパフォーマンスに結びつく。
きっとそうであるに違いない。

駅を降りタクシーに乗る。
運転手との会話が弾む。
これがいい感じで喋りの助走となった。

いざ始まれば何てことはない。
プールに飛び込むようなものであって、案じたすべてはたちまちのうち消え去った。

気づけばあっという間に時間が過ぎた。
終始一貫和やか楽しくわたしは無事に務めを果たせたようであった。

仕事後は全身が晴れやかな気分に包まれる。
解放されて往来に出る。
夏日にスーツなので汗ばむが、それすらとても心地いい。

帰途、明石方面へと向かう。
タクシーの運転手におすすめの寿司を聞くと、明石浦正がいいという。
しかしあいにく午後休憩の時間に入ったようで夕方5時まで待たねばならない。

それで昔馴染みの寿司大和へ寄ることにした。
子らが小さかった頃、明石公園で遊んだ後は必ず訪れた懐かしの店であり、ここで若きわたしは寿司が有する底知れないほどの美味さに出合うことになったのだった。

夕刻前の時間帯、他に客はなかった。
革靴を脱いで座敷に座り、上着を脱いでネクタイを緩める。

特上を頼む。
トロにレモンをしぼって塩で食べる。
至福。

ビールがすすむ。
うに、ひらめ、蒸し穴子、ほたて、たい、えび、次々平らげるが、どれもこれも抜群の味わい。
大阪で鈍った味覚が活き活き息を吹き返していく。

ビールをヒレ酒に変えて、第二陣、第三陣の寿司を注文する。

明石であるからたこも焼き穴子も外せない、たい皮、しまあじのちり寿司は必須の品であり、おすすめだと言われれば赤貝、サヨリも素通りできるわけがなく、寿司の定番と言えば当然に、うなぎ、まぐろ、はまちであり、イカしその手巻きで口直しし、そして、締めはトロ鉄火。

持ち帰りのみやげも買ってそれでお札一枚で釣りまであった。
格別の味が、あいかわらずの破格。
大阪でこのレベルの寿司であれば倍は下らないであろう。

そして、お定まりのコースを辿って、魚の棚で酒のつまみを選び、松竹で明石焼を買った。
両手いっぱいのみやげをひっさげ家路につく。

新快速が混雑しすぎて挫けそうになるが、みやげを家へと運ぶ身、すごすご尻尾巻いて退散する訳にはいかない。
負けてなるかと立ち続け、踏ん張り続けた。

この日最大の難所が新快速の混雑であった。
帰宅したときにはふらふらであった。

長男がすぐさまわたしが持ち帰った明石焼をぶんどった。
二男は連休中の試合に備えむかえの公園で一人で練習に励んでいる。

リビングの窓からその様子を眺める。
薄明の時刻。
微風が吹いて、日中の熱を和らげていく。
そこを二男が駆けまわる。

疲労が癒える。
役柄の兜を脱いでわたしは素の自分へと静かゆっくり戻っていった。