自室で本を読み終える。
『インクルージョン思考』。
「複数の問題をコンマ一秒で解決できる思考法」と帯に銘打ってあって手に取った。
そんなことができればどれだけ素晴らしいだろう。
期待に胸膨らませて読み、読後も思う。
そんなことができればどれだけ素晴らしいだろう。
近道はない、そう再認識させられた。
必死のぱっちで考えるしかない。
ページを繰った末、人類普遍不朽の方法論に到達したのであった。
本を閉じ、部屋を出る。
三階の渡り廊下から階下リビングが見える。
ソファに座って二男が家内に耳リフレをしてもらっている。
そのまま長男の部屋へと寄り、次の試験に向けての豊富などを聞いて二階に降りる。
二男の隣に腰掛ける。
彼の至福の表情を眺めつつ缶ビールを開ける。
アサヒスーパードライは何十年も昔から同じ装いだ。
ビールの缶が過去と現在の時間を一気に結ぶ。
当時のわたしは一人暮らしだ。
取柄もなく野心もなく、果てしなくつまらない日々を過ごしている。
寝床に入る前、ひとりで缶ビールを飲む。
黒ラベルであったりキリンラガーであったり一番搾りであったりスーパードライであったり、その日の気分で銘柄は変わるが、何を飲もうが、来る日も来る日も空虚であった。
缶ビールの向こう側、何十年後に、こうした日々を送っているなど想像もできないことであった。
若気の当時に思い描いた中年の日々の様子はどれもこれも的外れ。
どこに住み、何を生業にするかも見通せず、子の性別や面立ちの片鱗も窺えず、伴侶と何を共通の課題として、何を話し、何を食べ、といったすべてが予想だにしないことばかりとなった。
まさに、後ろ向きで列車に座らされていたようなもの。
空恐ろしいほどに、今の日常のすべてが未知であった。
あのまま一人で過ごしていれば、自己の世界観に収まって目に馴染んだままの時間の延長を生きていたのかもしれない。
やはりどうやら伴侶によって未来は大きく変貌すると言えそうだ。
二人の未来像が化学変化を起こす。
2つのベクトルが合成されて、曲りなり何らかの理想が実現する。
単独であったときには思ってもみなかった寸法と方向性が現出することになる。
当初予定の範疇で七分も咲けば御の字であろうが、うまくいけば満開以上ということもあるだろう。
だから裏返して言えば、相容れないような価値観を持つ者どうしであれば、家庭は何も咲かない焦土と化すことになる。
それなら一人であった方がはるかにいい、ということになる。
われら市井の一庶民。
あさっての方向にぶっちぎり、といった生活感の人を避けるのが幸福の第一歩ということになるだろう。