KORANIKATARU

子らに語る時々日記

他力の手の平の上、雨乞いする身

仕事の話を書くことはない。
仕事自体は無味乾燥で面白みなくとうてい書くには値せず、仕事を巡って生じるあれやこれやには度肝抜くようなエピソードが満載だが書いて許されることなど一つもない。
だから、書くとしても仕事の中身を隔てた周辺事だけとなる。

この6月は末日に向け大掛かりな仕事が控え、いわばそれ一色に彩られたといってもいい仕事風景であった。

そしていよいよその末日当日となった。
広域を行脚し踏破するスタンバイも万全。
後は約束の入金を待つばかり。

チャリンと金の音確認次第、一気呵成に動いて業務完遂となるはずであった。

しかし、どれだけ耳を済ませてもチャリンのチャさえ聞こえてこない。
チャはどうなりましたかと問い合わせるも、当の主とは連絡さえつかない。

午後3時となった。
途方に暮れるとはこういうことを言う。

雨降りを待って両手を広げ、口まで開けて、いまかいまかと待ち望み、日照りにさらされただけの待ちぼうけの一日となってしまった。

そして相手方とは一向に連絡がつかない。
費やした労力と時間を思うと崩れ落ちそうになる。
やることは山程あって、しかしどうしてもと頼まれ急かされこの業務に優先順位の第一位を譲ったという経緯があった。

まさかの大どんでん返し。
わたしは騙されたのかもしれなかった。

もし費用を立て替えて業務を遂行していたらどうなっただろう。
怖気が走る。

書類屋稼業など紙一重である。
入金なければ干上がって野垂れ死ぬだけだ。

恵みの雨が当たり前、それを自然現象だとすら思っているが、降る降らないは自力の先の話であって、そう突き詰めればなんと心もとないことだろう。

このような日照りが続けば、見る間にお陀仏となる我が身のリアルに背筋も凍る。

こんなときは一杯飲むしかない。
そう思って街へ出る。

今日もそこらじゅうに海外からの旅行者の姿が見える。
日常という鎖から解き放たれた一団が眩しく見える。

夕飯いらぬと家内にメールし、我が生業の悲観的側面を凝視し悪酒に呑まれていく。

一夜明け、7月1日。
新しい一ヶ月の皮切りの日。

気分一新と地元の神社に寄って手を合わせる。
仕事場に向かい今度は事務所近くの神社で手を合わせた。

そのときメールの着信があった。
入金の知らせだろうか。
ご利益を直感し垂れた頭が地につかんばかりに下がっていく。

神社を後にしiPhoneをのぞく。
とんだ見当違い。
荷物の配送を知らせるメールが届いただけのことであった。

くよくよしても始まらない。
埋没原価という言葉もある。

業務は星の数ほどもある。
あの話は最初からなかった、そう思って、頭を切り替えるしかない。

事務所に戻るまでには心整った。
さあ、元気よく7月を乗り切ろう。

そう思って着席した時、電話が鳴った。
当のお相手からである。
受話器の向こうから、いま入金しましたとの声が聞こえた。

プルル震えるような歓喜が全身を走った。
一ヶ月の労苦が報われたのだった。
そして一瞬でもその魂胆に疑義持った自身の卑しさを恥じた。
何かやむにやまれぬご事情があったに違いなかった。

試合終了間際に突如ノーゲーム、つくはずの勝ち星がお預け、という最悪の事態は一日経って避けられた。

一寸先は闇、たった一日の日照りでそう目の当たりにした。
が、どの道、いつかは闇ということにも察しがついた。

自力を超えたメカニズムがそこにある。
他力の手の平のうえ、雨乞いするような卑小さもまた人の真実だと学んだ水無月最終日であった。

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