KORANIKATARU

子らに語る時々日記

きっと大丈夫、何とかなるさ

さしもの熱波も明け方には勢いが衰えた。
裏庭から吹き込む風が下草の香り含んでひんやりとし心地いい。
テレビをつけるとちょうどNHKのニュースが始まった。

バングラディッシュでは人質テロ事件で7名もの日本人が殺害された。
奈良では弟の投げた銛が頭部に刺さって兄が命を落とすという事故があり、名阪国道では追突されたトラックが崖下に落ち炎上し運転手が亡くなった。

沈痛なニュースの絶えない現世である。
いつ誰の身にどんな厄災が降りかかるか知れたものではない。
胸締め付けられる。

差し迫った用事はないがクルマ走らせ事務所に向かう。
途中コンビニに寄って新聞を買う。

日頃はたいてい忙しく新聞はめくるだけでほとんど読まない。
どのみちせいぜいひとつかふたつ目が留まる記事と出合えればいい方で、ほぼすべてを読み飛ばしても何ら支障の生じることがない。

久々、今日はゆっくり目を通すことができる。

朝日新聞に「医者とカネ」の特集があったのでそれを読み、子らにも読ませようと取り分ける。
前回の特集「おいてけぼりニッポン給料の話」と合わせ、お金についての将来イメージを得るうえで子どもであっても熟読しておいた方がいいだろう。

先進国では軒並み中間層の所得が先細っている。
一方で、中国やインドにおいて巨大な規模の新中間層が生まれ始めている。

失われた10年だ20年だとわいわいがやがやしているうち、世界の経済地図は大きく塗り替わった。
もはや日本は所得が高い国とは言えず、産業構造においてITに強みがないことや賃金より雇用を優先させるという体質であることも相俟って先細りにおいて筆頭をひた走る。

高学歴な高技能職者であっても、その賃金は中国、マレーシア、香港、シンガポールの後塵を拝し、いまや韓国にだってどうなのだという域に成り下がりつつある。

にわかには信じられないことである。
中間層が消え、稼ぎの多い上位15%とその他の差がますます乖離する世となっていく。

お金を第一としない経済、例えば、お金で払うのではなく時間で払う「時間銀行」といった試みをするコミュニティも生まれ始めているようだが、お金の第一は揺らがないであろう。

社会保障費が莫大な額にのぼり、一方でそれを支えるべき中間層がやせ細るという、悩ましいにもほどがある困難な未来が日本においてすでに始まっている。
お金については、誰かが何とかしてくれるといった話ではない。
よほどしっかり考えておく必要があるだろう。

同じく朝日新聞に「認知資本主義」という新刊について諸富徹氏の書評があった。

富の源泉は物質から非物質に移行している。
すでに先進国では、物的資産に対してよりも無形資産への投資が上回っている。

日本は画一的な工業化社会においては適応を果たせたが今後はこれまでの旧態依然では立ち行かない。
額に汗してする肉体労働の価値は下がり、知識や認知能力を資源とする「非物質的労働」の生産性が決定的に重要になっていく。

端折って要約するとそんな内容となるだろうか。

非物資的労働というのは、付加価値の高いサービスのようなものと言えるのだろう。
言葉にするのは容易いが、実際にそれを発見し仕組みにし経済活動にするのは簡単なことではない。

お勉強ができたってそれがどうしたという域の話であろう。
高度な知識があって創意工夫があって、バイタリティがあって、なおかつ、人や組織や社会への理解もあって、実務はもちろん人も引っ張れる辣腕政治家的な能力が必要で、そこまであってはじめて未来の大競争社会でなんとかやっていける。

たいへんなことのようにも思えるが、元気があれば何でもできる。
いまからそう心得て自身を磨けば、きっと大丈夫、何をやっても何とかなるさ。