涼風吹き始めた夕刻。
わたしと家内が前を歩き、少し離れて長男と二男が後ろに続く。
ふと振り返る。
わたしと同時、家内も同様にする。
二つの肩幅が頼もしい。
もはやちびっ子当時の上背ではない。
なんといい眺めだろう。
もし二人の祖母がこの場面を見たら涙を浮かべるのではないだろうか。
昨日の日記では働くご老人の話を書いたが、うちの両祖母の奮闘ぶりは並大抵のものではなかった。
自らの背丈上回るほどの荷を背負い各地を経めぐり歩いた。
バスと電車を乗り継ぎ田舎道を歩く。
決して生易しい仕事であるはずはなかったが、足腰が立たなくなるまでそれをやめることがなかった。
二人にとって仕事は、生き甲斐だとか、生きるためにやむなく、とか飾ったり気負ったりするような何かではなかった。
生きることと同義のようなもの。
生きているのだから働くのは当たり前、といったようなものだったに違いない。
幼いながら二人の祖母を見て、仕事はしんどくたいへんだが面白い風でもあるという印象をわたしは受けた。
行商に出ればその先で交流があり大事にしてもらえ、生きる糧が得られた。
労苦ではあっても喜びもあって、つまりは仕事こそが人生そのものであった。
わたしは二人の祖母の背から決定的に大事なことを学び、今度は実地でそれを伝える側の年齢へと差し掛かりつつある。
まずは二人の息子に、祖母らの生き様を語って聞かせる必要があるだろう。
寿司屋のカウンターで二人の息子の食べっぷりに目を細めながら、日頃のあれやこれやについて言葉を交わす。
二男が言う。
信州は涼しかった、朝晩は寒いほどだった。
火打山は楽勝だった。
頂上から雲海を見下ろす絶景には息を呑んだ。
今度、友達らが家に来るからね、食事の用意よろしく。
長男が言う。
九州遠征に向けいまラグビーチームの練習がハードさを増している。
チームの主将は全国優勝果たした同じ学校の先輩だから手を抜けない。
勉強も忙しい。
夏は予定がパンパン、だからおれは家族旅行には行かない。
そうかそうか、おれのも食べろと二人にわたしの小皿も献上し相槌打って飲むビールのうまいことといったらない。
このような団欒が幸福で、きっと祖母も喜んでいるに違いない、そう思えばしみじみとした感慨が湧いてくる。
両祖母の魂はしかと彼らに受け継がれている。