腹が減ったと二男が言うので千円札を渡した。
時刻は日本時間の深夜零時に差し掛かるところ。
場所はクアラルンプール国際空港。
わたしたちはトランジットのため2時間ほどをそこで過ごさねばならなかった。
マレーシアの通貨であるリンギットについてはランカウイで使い切っていた。
カードがあれば帰途の用は足りる。
かといって二男にカードを渡すわけにはいかない。
それに大人が一緒に付き添って何とかするのであっては、男子にとって全く意味がない。
自分でなんとかしろ、とだけ告げ、千円札一枚を握らせ人種のるつぼへと送り出した。
続いて長男も言う。
腹が減った。
同様に千円札だけを渡す。
二人の男子を不夜城へと解き放ったようなものであった。
空港は巨大でその構造は一見シンプルに見えて入り組んでいる。
方向音痴であるわたしなど、終始、自分がどこを歩いているのか分からず仕舞いであった。
15分経過し、わたしは腰を上げた。
親である。
ことの顛末を見届けねばならない。
カナダ留学中の思い出としてバーガーキングの話を兄から散々聞かされていた弟である。
居場所の見当をつけるのは難しくない。
案の定、バーガーキングの一角に二男の姿があった。
多くの旅人に混ざって、機嫌良さそうにバーガーを頬張っている。
千円札で買ったのか、そう聞くと彼は言った。
外貨両替所でリンギットにかえてもらった。
最初自分のへそくりの500円玉を両替所に差し出したが、コインはダメだと断られたという。
それで千円がまるまるリンギットに姿を変えることになった。
リンギッドはもう要らないので全部使い切ってくるように、そう告げてから今度は長男を探す。
彼の友人らのあいだではスタバで勉強するのが定番のようになっている。
行く先として最初に思い浮かぶのはスタバであるに違いない。
迷いつつようやくスタバを探し当て、なかをのぞくと、やはり長男はそこにいた。
人種のるつぼに馴染んで過ごす旅人のように見える。
まさに一日の長。
国際空港では円が当たり前に使えることを彼は知っていた。
しかし、お釣りはリンギット。
彼にも告げる。
リンギットはもう要らない。
使い切るように、そう伝えた。
夜食を済ませた兄弟はいつしか合流し、そして一階のチョコレート屋に入った。
二人合わせて残り29リンギット。
使い切る上でチョコレート屋を選ぶというのはなかなかの着眼だ。
しかし探せど探せど、ピッタリ29リンギットのものはない。
あれこれ品を物色する二人の様子を遠目に見守る。
数々の親子の姿を目にした旅であった。
ホテル、空港、ジャングル、ビーチ、船、レストラン、ありとあらゆるところに様々な人種の親子があった。
共通しているのはその眼差しだ。
やわらかくほころぶその目には慈愛の情がなみなみと溢れている。
そのような眼にハッとして、わたしはこれまでの子育てのいくつもの場面を思い出し胸熱くなって、わたしの眼にも慈愛が浮かぶ。
それがまた誰か別の親の眼に乗り移って慈愛がそこらへと行き渡っていく。
ふたりの兄弟は店員に助けを求めた。
それで一気に問題が解決した。
リンギットを使い切る、これはこの空港ではお馴染みのテーマであるようであった。
手際よく店員さんが品物を見繕う。
あっと言う間に、ピッタリ29リンギットのお会計となった。
この夜、家内は二人の好男子からチョコレートのプレゼントをもらった。
その背景にはこのような裏事情が潜んでいるのであった。