KORANIKATARU

子らに語る時々日記

長期的な視点でブランドを高める

やってきた電車は既に満杯であった。
にもかかわらず車内の肉布団を背中で押し込むようにして、次から次へと人が乗り込んでいく。

まさにギュウギュウ詰め。
豚まんであれば生地から具がはみ出ること間違いない。

当然、わたしは乗るのを見送った。
家畜や虐げられた民ならいざしらず、人としてこんな状況は御免被りたい。

ラッシュ時でも一本待てば海路の日和、そう経験則で知っている。

案の定、次の電車は人もまばら、あちこちに余白のスペースが見える。
詰まった鼻が急に通ったかのような爽快を覚える。

座れはしないが、左右広々、ラジオ体操して腕を振っても人に当たることはない。
深呼吸も楽々だ。

本を取り出し続きにかかる。
手にするのは佐藤オオキ氏の「問題解決ラボ」。

今年の2月に氏の「スピード仕事術」を読みたいへんためになった。
そこで紹介された数々の問題解決事例を世界ふしぎ発見!さながらクイズにし、二男と楽しい夕飯の時間を過ごしたことが記憶に新しい。

この日難波のジュンク堂に寄った際、レジの真ん前に置いてあって新刊だと思って手に取った。
「スピード仕事術」より一年も前の本だと後で気づいたが、役に立つのであれば関係ない。

佐藤氏は当時の時点ですでに知る人ぞ知る世界第一線級のデザイナー。
その仕事観や方法論、細部に渡っての視点や思考は、市井の民にとっても汲むところ果てしなく大きい。

本書においても参考になる箇所が多々あった。

ここ一番の爆発力を生むため日頃はなるべく同じリズムと同じペースを心がけているという話に頷かされた。
変化はストレスとして作用する場合があり、その負荷はアイデアの捻出には役立たない。

継続的に第一人者であるための心得がこのようにさらりと書かれている。

また、カナダトロント生まれの英語の達人である氏であってさえ、ものづくりの現場では英語で考えるのではなく日本語に置き換え思考し英語に再変換するのだという。
英語で考えると調子が狂って上手にデザインできなくなるという話に、母国語の感性がアウトプットに直結するのであると日本語の大切さを再認識させられた。

そして、ブランドの話も興味深いものがあった。
欧米の伝統ブランドは強固なアイデンティティ意識を持っていて、それがトップから現場まで共有されてる。
ちょっとしたことでブランドは劣化する。
そう知っているから、彼らは長期的な視点でブランドを高めることを考え、目先の利得に惑わされることがない。

なるほどと思いつつ、先日のテレビ番組のことが頭に浮かんだ。
日曜の夜、バラエティ番組で西大和学園が取り上げられていた。

教育産業だけでなく教育行政の側からも注目を集めている学校である。
旧態依然として前例踏襲的であった関西ローカルの教育慣行に一石も二石も投じた学校だと言えるだろう。

日本一のいい学校を作る、という理念の実現に邁進し数々目を見張る試みを打ち出し実践してきた。
いまや学校の役割を再定義させるほどの存在感を放っている。

だから、通わせている父兄の満足度は高く、通う生徒自身も高い意識にインスパイアされて強い愛校心を胸に秘めている。

しかし残念なことに、西大和学園についてはそのような素のスッピンの部分が素晴らしいのに、バラエティ番組の画面を通じると、なんと不思議なことだろう、上辺飾っただけのあざとい存在に見えてしまう。

生徒は少し照れて傷つき、父兄は少々鼻白むことになった。
学校の勢いは分かるのだけれど、その分それだけ一層、奥ゆかしいほどの抑制といったものがあっていいのだろうと思う。
もはや十分すぎるくらいに難度高く知名度もあって、これ以上イージーな雰囲気でする宣伝は、かえって逆効果となるに違いない。

今回テレビで取り上げられ、アンチが増えたのではないだろうか。
誰でもが手にとって矯めつ眇めつできる学校であれば微笑ましくても、相当な狭き門となってまでそんなことをやっていてはなんだか腹が立ってしようがないとなっても不思議ではない。

表層的な部分以外、たとえば、バネあって芯の強い生徒らが育ち、各方面で活躍の卒業生も増えている、足元に目を向ければ生徒のために日夜大奮闘の教師陣がいる。

こういった地味で寡黙な部分に光を当てるような企画であれば待望したい。
見応えある切り口はもっと他に無尽蔵にあるように思う。