KORANIKATARU

子らに語る時々日記

こう見えてエースが二人

前回同様の雨。
長男は宇治へと向かった。
フラッグフット全国大会の地区予選が開催される。
運動部精鋭で結成したファルコンズは初勝利なるだろうか。
一方の二男は部活仲間と連れ立ってラウンド・ワンへ行くということだった。

各自属する場で過ごす連休最終日となった。
わたしは小雨降るなかジョギングを終え、実家へと向かった。

途中、昔なじみの銭湯に立ち寄った。
かつて連日のように通った実家の近所の風呂屋である。

久々訪れ驚いた。
番台のおばさんがずいぶんと老けこんだ。
月日の風雪がその表情に刻み込まれているも同然であった。

往時をしのびつつ湯につかる。

先代の爺さん婆さんが亡くなられて何年も経つが、あまりに見慣れているのでその在りし日の様子が残像となってそこかしこ目に映る。

風呂は相変わらずの盛況で結構な客の入りだった。
貴重な下町のオアシス。
何十年と庶民の憩いの場であり続けている。

しかし、次第次第、このオアシスも店じまいに向かっているのは確かなことだった。
かつては休みなしだったのにいまでは週一回は必ず休みだと言うし、日曜の朝風呂もなくなって久しい。

町の様子は少しずつ変貌し、同時に記憶も薄れ、以前そこにどんな建物があったのか思い出せないことが専らであるけれど、この風呂屋だけは、跡形なく姿を変えても忘れることはない。

名残り惜しむように風呂を後にし、両手引き千切れるほどのビールを買って実家を訪れる。

昨年同様、父母とわたしと弟の四人。
あぐらで座って食卓を囲む。
それぞれが持ち寄った食べ物が所狭しとテーブルに並ぶ。

無事一年が経過した。
親子水入らずの敬老の日である。

あっという間の一年だった。
共有する時間の継続をことほぎ慈しんで祝杯をあげる。

どんどこビールが空いていく。
思い出話に花が咲く。

どんな拍子か、遠い昔、家にあった三面鏡の話が持ち上がった。
懐かしい。
皆の身だしなみを整えるのに一役買った三面鏡も酒の場に混ぜてわいわいがやがや。
過ぎ去った何もかもが食卓に戻って、わたしたちがともに暮らした家族であることを証しづけていく。

500mlが1ダース空いたところで、飲みのペースが減速し始めた。

そろそろ楽しい宴もお開きだ。
飲み会は毎月行う恒例行事であるが敬老の日は年一回。
また一年、無事つつがなく。
あっという間だったねと顔合わせることができますように。

帰途、もの言わず、わたしと弟は固く誓った。
父と母の尊厳は、必ずわたしたちが守り通す。

家に着く。
ちょうど二男は風呂上がり。

ラウンド・ワンには馴染めず楽しめずこの日も結局映画を見たのだという。
日頃フィールド駆け廻る男子には物足りないだろう。
それなら精神のフィールドに作用する映画を見たほうが百倍も価値がある。

長男は疲れ切って寝入っている。
にしやまとファルコンズの公式ツイッターを見ると、無念、二敗を喫したとの報告があった。

相手は歴戦の大学生や社会人。
一勝でも挙げれば大戦果。
吉報は気長に待つことにする。

寝床に入る前、風呂につかってぼんやり思い浮かべる。
いつかこの先、敬老の日、息子二人がわたしを訪れるようなこともあるだろう。

順繰り順繰り。
彼らもまたわたしの尊厳を必ずや守ってくれることだろう。
わたしにとってはエースが二人。
実に頼もしいことである。