専門分野の研鑽に励むためアマゾンで書籍を見繕う。
買っただけなのにすでに血肉になったかのような高揚を覚える。
山ほども学びたいことがあって思いは膨らみ、近頃流行りの女子言葉を使うなら、楽し過ぎて笑いが止まらなさ過ぎて嬉し過ぎ、といったような気持ちになる。
夜、子らは家にはおらず、一人で映画を見始めた。
北野武の「あの夏、いちばん静かな海。」
このところキム・ギドクの作品を観て圧倒され、隣国への対抗心というのであろうか、日本にも凄い監督がいたはずだ、そう思って北野武が浮かび、はじめてその作品を観ることにしたのだった。
噂に違わず、北野武は天才であった。
良きアートに触れたかのような心地いい余韻にひたってそう確信した。
掛け値なしに素晴らしい作品だった。
余計な説明がなく、映画の語りがとても端正なものになっていて、美しい。
それに加え、ふっと微笑んでしまうような温かな場面も随所にあって、作品自体に強い愛着すら覚えてしまう。
北野武という人物が内包する美の感覚に触れ、ひとつ世界が深まったような気がした。
美しいものの存在感が微弱となる一方の昨今である。
意味のないおしゃべりが止むことなく訳もなく笑い合って世はめったやたらやかましく、生臭いような欲の虚飾が原色のままむき出しで端から端までけばけばしい。
耳はキンキンし、目のチカチカも避けがたい。
そんなノイズが行き交う往来のなか、美は息も絶え絶え居所を失って、いまや絶滅危惧種に指定されてもおかしくない。
美に出合える場所はますます限られてくる。
この秋は、北野作品をヘビロテしてみようと思う。