傘は持つが差すまでもない。
小雨模様の週明け月曜、午後からはさる事業主と行動をともにした。
あちこち動きながらあれこれ話すが、終盤には仕事の話はどこへやら雑談が主となった。
役割としては相手が投手でわたしが捕手。
事業主が話題を投じてわたしがそれを受けて返す。
当たり障りないような雑談のなか、時間追うごとプライベートな話も含まれ始める。
仕事が片付きスタバで向き合う。
わたしは終始一貫聞き役だ。
事業主さんの息子の話になって、やがて話題は中学受験のことへと移った。
星光を受けたがダメだった。
そうですか、とわたしは受けて返す。
事業主は続ける。
試験を終えた直後、本人は自信満々の表情だった。
本人曰く、会心の出来。
家族一同ほっと胸を撫で下ろした。
やれやれ、これで長きに渡った中学受験も無事に幕を閉じる。
感慨にふけってその夜家族で食を囲んだ。
明けて翌日。
息子さんは滑り止め校を受験。
合格発表の場に赴くのは父の役目であった。
学校正門に着き、発表の時間を今か今かと待つ。
全くといっていいほど緊張感はなかった。
万が一という思いはよぎるが、番号がないはずがない。
抜群の出来栄えであったということであるし、重ねてきた準備に死角はなかった。
これまでの成績を振り返っても番狂わせなど考えがたい。
そして数分後、天地がひっくり返ることになった。
探せど探せど番号がない。
まさかそんな馬鹿な、と思った所でやはりそこだけすっぽり番号がない。
冷たい汗が幾筋も背中を伝って、地面の底が抜けたみたいに血の気が失せた。
頭は真っ白、周囲の歓喜の声が遠のいていった。
着信があって我に返った。
滑り止めの受験を終えた本人がこっちに向かいながら電話してきたのだった。
ただ一言、声を振り絞った。
こっちに来なくていい。
和やかなムードから一転、家族の雰囲気は一気に奈落。
本人も自信を失い、これでは滑り止めさえダメなのではと疑心暗鬼が増幅し動揺を振り払うことができない。
まさに家族はじまって以来初のどん底。
何かを思い返して各自が憂いに沈む、そんな長く重たい一日となった。
だから翌日の試験は、これ以上はないというほどに張り詰めた。
ガクガク震えが来るほどの緊張に皆が苛まれた。
しかし逃げ場はなく、どのような精神状態であれ向かっていくしかなかった。
それで結果はどうなったのか。
急いで先を聞きたいという気持ちをこらえ、たいへんでしたねとだけ言葉を発する。
ゆるりコーヒーをすすって、わたしは話の続きを待った。
土俵際とでも言える試験だったが、なんとかやり抜き、本人は手応えを感じたようだった。
が、なにせ先日の件があったばかり。
楽観の入り込む余地はどこにもなく、楽観なしで過ごす数日はただただ苦しいものだった。
その苦しみをこらえつつ、息を潜めるように家族皆で発表の日を待った。
そしてその日、すべての重しが取り払われた。
結果はマル。
手放し、大はしゃぎで、家族で喜びを分かち合った。
思い出すといまでもじんとくる。
家族一同異議なく、洛南が進学先として選ばれた。
ただねえ、学校では普段のテストで席次などが出ないんですよ。
目に見えての競争がないから、呑気に構えて全く勉強しません。
塾が必須で、塾に入れてそれでやっと勉強するようになるのかと見守っているところです、困ったものです。
そう事業主は嘆くが、その表情はやわからで笑顔さえ浮かんでいる。
息子さんはよく踏ん張りましたね。
受かった学校に幸ありですよ、ほんとうに良かったですね。
いやいや、たまたま引っかかっただけで、ヒヤヒヤもんでした、思い出すだけでぞっとします。
事業主はかぶりを振って言うが、その表情はさらにやわらかみを増していた。
雨はすっかり上がったようだった。
結局傘の出番はなかった。
分厚い雲の向こう、太陽のあるあたりはずいぶんと明るくなっていた。
この分だと空は晴れて、今宵夜空にスーパームーンを見ることもできるかもしれない。
事業主さんと別れ、わたしは事務所へと引き返す。
試験について考えていると、周囲の見慣れた面々の顔が次々に浮かんできた。
日頃涼しい顔している彼らであるが、なんだかんだと言って皆が皆、大奮闘を経て中学に受かって大学に受かって国家試験に受かってと、道中一つや二つ落ちるようなことがあっても、最後にはしっかり合格をつかみ取ってきた連中だ。
要は受かって、いまがある。
彼らに対し、ちょっとしたリスペクトのような念を覚える。
今年もまた中学入試の季節が迫ってきた。
残すところ二ヶ月ほどの正念場。
生涯忘れられぬほどの熱いストーリーが数々繰り広げられることだろう。
実のところ、落ちたところでどうってことはない話ではあるのだが、そう種明かししてしまうと身も蓋もない。
どのような社会であれ通過儀礼というプロセスが内在し、それはド真剣でキリリ厳しい方が効き目抜群。
子らの成長が促され、屈強をまとう絶好の機会となる。
そう思えば、いくら過酷であっても、受験の存在価値を肯定できるような気がしてくる。