打ち合わせの終了が夕刻。
あとほんの数歩で京都という場所。
帰りの道中はたいへんな混み具合だろう。
運転中はマインドフルネスの時間。
たっぷり自己再生ができる。
そう前向きに捉えクルマを発進させた。
早朝の時間を書類作業にあて午後は打ち合わせなどで外出。
仕上げに再び事務所に戻る。
代わり映えのしない日が続く。
働き詰めに見えて大半が自己再生の時間のようなもの。
楽ではないが苦痛もない。
仕事後、この日も和らかの湯に寄った。
マインドフルネスの締め括りに風呂は欠かせない。
サウナで一汗かいてジャグジーに揺蕩い、そして露天のつぼ湯に身を沈める。
隣のつぼには、少年の三人組。
身をすぼめるようにし狭いスペースでカラダを寄せ合っている。
ちょうど等しい階差で年齢が離れているように見える。
どこからどうみても三兄弟。
年の頃は、小学4年を筆頭に順繰りに小さくなって、小学1年、年少さん、といったところだろう。
末っ子が、まもなく湯に飽きた。
違う風呂に行こうと兄をせっつく。
真ん中は趨勢を見守っている。
まるで巡礼行脚するみたい。
三人ぞろぞろ揃って歩いて、各種の風呂を渉猟していく。
その様子がとても可愛らしい。
小一時間過ごしてわたしは湯を上がった。
洗面台の前でカラダを乾かす。
いつだって引っ提げるのは手ぬぐい一本、昭和の男。
と、横にチビっ子三兄弟がやってきた。
長兄が一丁前にドライヤーで髪を乾かし始めた。
髪がさらさらとなびいて、男前。
真ん中の子はやや後ろに立って兄を見守っているが、末っ子は兄を真似してドライヤーに手を出した。
まるでオバQがするみたい。
的を外して風が頭をかすめるのみ。
前髪だけが半開きのトランクみたいに緩慢に揺れる。
末っ子自身、自らのドライヤーの仕方に確信がないのだろう。
視線定まらずキョロキョロし通しである。
だから時折、鏡を通じて末っ子くんと目が合うことになる。
わたしは微笑みかけるが、彼は必死。
表情をほころばせる余裕はないようだった。
彼らの父親がそこらにいるのだろうかと辺りを窺うが、それらしき人物はない。
長兄が保護者の役なのだった。
なんと頼もしい兄貴だろう。
風呂屋を後にし、夜9時過ぎ、ようやくわたしは家路についた。
窓を開けてクルマを走らせる。
夜の匂いが車内に満ちて、心のびやか解き放たれる。
ああ、今日も無事一日が終わった。
なんて幸せなのだろう。
わたしにとって幸福は、片手で持ち運べる程度の嵩しかない。
つまりいつだってどこでだって、たちまちハッピー。
なんだか笑っている、と言われる人相も、だからこそのことなのだろう。