KORANIKATARU

子らに語る時々日記

無職ですと晴れ晴れ名乗ることのできる日

日曜夜は子らを伴っての夕飯。
昔懐かしの大城園を訪れた。
知る人ぞ知る名店。
子らが小さい頃はよくクルマを飛ばして食べに来た。

久々に大城園という声が子らからあがって一同異議なく数年ぶりの再訪となった。
期末試験の打ち上げ、それがこの夜の趣旨である。

高速を津守で降りてすぐの場所。

周辺の街並みも店構えも一切変わりがない。
変わったのは、うちの小せがれの図体のみ。

彼らの記憶に残る上塩タン、上ハラミ、上バラといったあたりから攻め始めるが、一方的に攻めが続いて猛攻撃、攻守交代となる気配がない。

思い知らされた。
彼らが思う存分食べると手がつけられずたいへんなことになる。

メニューに載る一通りの肉をあらかた食べ終わって、締めは冷麺。
酒を飲まない分、お代は知れていると高を括っていたが、伝票見てややたじろいだ。

しかし、まあたまにはいいではないか。
なにせ久しぶりのことである。
前回来たのは長男が中学受験大詰めを迎えた年末だった。
懐かしいからと次回ここを訪れるときには彼らは大学生になっている頃かもしれない。

そう思って、一抹の寂寥が胸を過ぎる。

いつかは巣立つ。
それは彼らが大学生になったときのことだろうか。

家は空っぽもぬけの殻。
味も素っ気もない空洞がそこに冷たく横たわるだけとなる。

しかしすぐに思い直す。
そこが節目で、わたしにとっては第二の人生が始まるようなものなのだから寂しがっている場合ではない。
考えれば50歳そこそこの時点で結構な量の肩の荷が下りることになる。

晴れて自由の身。
そう考えたってバチは当たらないだろう。

あれもやりたい、これもしたい。
手付かずのまま夢想の抽斗に仕舞い込んだあれやこれやを誰に咎められることもなく引っ張り出して心ゆくまでそれに没頭することができる。

子らが結婚する際、体裁気にすることなく無職ですと晴れ晴れ名乗ることさえできるほどの自由、そう思えば使い途にも困るくらいのまったき自由であって途方もない。

なんだか心踊って笑みがこぼれる。
子らの充実を遠くに眺めつつ過ごす我が身の充実を思えば、寂寥などどこか彼方へ消し飛んでいくといったようなものだろう。