KORANIKATARU

子らに語る時々日記

個人仕様の喜び

今日を含め残すところあと3日。
仕事納めのときが刻一刻と迫っている。

野球で言うなら最後の打者を前にしたようなもの。
あと3球でゲームセット。

今年もなんとか投げ抜いた。
喜びもひとしお、という場面まであとほんの一息である。

世に嬉しいことは山ほどあれど、達成感に勝るものはないだろう。

もちろんわたしの達成などちんけなものであって、人様に見せて胸張って得意になれるようなものではない。
ただただ一人こっそり悦に入るような、ごくごく密かな喜びでしかない。

しかし、この幸せ濃度はかなり純度高くてコクがある。
思わず笑みがこぼれて足取りまで軽くなる。

誰かに勝ったり、人とくらべて優位に立ったり、といったほくそ笑む系の喜びもたしかに喜びには違いないが、確からしさで言えば個人仕様の喜びの方が優るのではないだろうか。

比較仕様の喜びは内実を伴わない分まわりくどくて、空振りした際の反動大きく、ともすれば消耗と繰言と空虚だけが残って、性格がネジ曲がってしまう類のもののように思える。

そもそも比べる相手が必要なのであって、そこに介在する勝利感に歓喜の電流が走り抜ける訳であるから、見方を変えれば相手の負けを切望するような話であって、どこか女々しく非力でいびつな心根と紙一重と言えなくもない。

一歩間違えれば根暗に瀕しかねない勝った負けた思考はほどほどに、他人がどうあろうと誰が見てようが見てまいが、なんだか楽しくハッピーといった絶対的な喜びを大切にする方が健全で明るい毎日であるような気がする。