KORANIKATARU

子らに語る時々日記

退屈が小さな痛みと化してくる

好天に恵まれたからであろう。
空の黄ばみが際立つ三連休であった。

間近のビルでさえ霞んで見える。
花粉対策でなくてもマスクが不可欠。
そう感じさせるほど空気が淀んでいる。

澄み渡った青空が恋しい。
そんな風に思いながら、春の街をウォーキングして過ごした連休であった。

休みのあいだ家族は出払ってわたしは一人留守番役を仰せつかっている。
夜は我が家玉座に陣取って我が世の春を謳歌する。

ハードディスクに保存されているお笑い番組など見て腹抱え、弛緩の極みの幸福にひたる。

薄暗くひと気ない建物から中年の高笑いだけが鳴り響く。
我が家は不気味な屋敷と化していたことだろう。

笑い終わると我に返る。
一人過ごす時間、遠方へと異動になる知人のことが頭に浮かぶ。

まもなく新年度。
最果ての地方都市に異動となった知人がいる。

何年も前、新居を購入した途端に辞令が出て妻子と離れ単身赴任生活を余儀なくされた。
そろそろ地方でのご奉公もお役御免、今年こそは地元に戻される。
誰もがそう思っていたが、出たすごろくの目は振出し。
更なる遠地で新たな単身赴任生活を送ることになった。

また別の知人は世界の誰もが憧れる欧州の都市へと赴任となった。
家族揃ってそこに滞在するのだという。

辞令など出ることのない自営業者であるわたしにとっては、地方都市であれ世界都市であれ、変化あるのが羨ましい。
春、新天地の空気はひときわ新鮮に香り立つ。
想像するだけで胸踊って胸膨らむ。

不自由なく不満もないが、日常もマンネリになりすぎると、その退屈が小さな痛みとなりかねない。

幸い自由業なので、適度にリフレッシュでき、仕事の強弱を加減できるから、痛みを意識することは少ないが、静か静か積もり積もっていることも間違いないことだろう。

ここは一つ、自らに辞令を出すのも妙案ではないだろうか。
夜のねぐらでそう思いつく。

まだまだ道半ばの洟垂れ坊主。
希望という鼻先のニンジンが欠かせない。

仕事のフィールドを広げるにはどうすればいいか。
強いられれば考える気も起きないが、自らの趣味と実益を兼ねた話であるから、なんだかやる気になってくる。
世界各地駆け回る同業者も少なくはない。
求めれば出番がないはずもない。

黄ばんだ街を闊歩するのではなく、緑陰の風に吹かれつつ異国の街路を靴音高らか鳴らして歩く。

日記に書けば現実となる。
遠からず実現することだろう。