KORANIKATARU

子らに語る時々日記

永遠にベイビーボーイ

買い物帰りの家内を駅で迎える。
納得のいく収穫があったようで上機嫌に見える。

この日、スポーツブランドの売出しがあって子らの着衣を求めて家内は市内へと出かけていたのだった。

買った品々について話を聞きながら夕飯の食材を仕入れるため商店街に向かう。
抜群のセンスの家内である。
子らの喜ぶ顔が目に浮かぶ。

あくまで我が家は子が主役。
子を授かってから一貫し我ら夫婦の自分本位なエゴは後景へと退いた。

だから予算も労力もまず先に、子らのあれやこれやに充てられる。
もちろん枯れぬようわたしたちにもお湿り程度に水はやるがこの後先が逆になることはない。

骨身削ってといった悲壮な話ではなく、ただただそれが嬉しいのでそうなった、つまり愛。

商店街で買物していると、マップをのぞきこんで歩く人を幾人も見かけた。
どうやらここらエリアでバルが催されているようである。

満場一致で予定変更。
わたしたちは荷物を置いて、チケット求めて野田阪神の駅前へとまっすぐ向かった。

イタリアンやフレンチを中心に回ろう。
そう方針を定めて、我らもまた連れ立って歩くマップ人となった。

のべ4軒回ったがビストロ・かたおかへは子らを引き連れ再訪することになるだろう。

電車で帰宅し家に着いて真っ先、買った品々を子に着せる。
いつまでたっても親はバカのままであり、いつまでたっても子らはかわいいベイビーボーイのまま。

めんどくさがって嫌がる子らとは好対照、親は笑顔。

家内の見立てどおり。
バッチリ似合うとの彼女の仮説は実証されることになった。

夜、二男が映画PKを見る横で、わたしは寝そべりアロマ・リフトという施術を家内にしてもらう。
先だって覚えたばかりだというが、手際よく要領がいい。
一度目にすればたいていの技術は会得できるようなので、ある意味天才と言えるのだろう。

不思議なもので頭部へのケアだけで全身の疲れが癒えてくる。

今年も息子の学校の役員の任を仰せつかったようだ。
家内はやはり適任だろう、向いている。

きちんと役割を果たし、分け隔てなく人と接し、付き合う人を大事にする。
どんな業務であれ、より良いものにしていこうとの熱意と創意工夫と知性があって、後を託す際の引き継ぎのことまで頭に入っているから、必ず好ましい貢献を果たすはずである。

そうそうと言って、家内が端末で動画を見せてくれる。

画面いっぱい新緑の木々がふさふさと風に揺れている。
と、ホーホケキョと涼感あふれる美声が発せられた。
ほどなくしてまた響き渡る。

目の前の公園に今年もまたウグイスがやってきたのだった。
朝、洗濯物を干していてその鳴き声に気付き家内は動画を撮ったのだという。

わたしは動画に目を凝らす。
一帯に広がる木々の葉陰のどこかにウグイスが身を潜め春の盛りを告げている。
姿を捉えることはできないが、その透き通った音色は確かな質感ともない、心奥深くまで染み入った。

この夜ウグイスが永遠の安らぎを象徴する神話的存在に格上げされた。