KORANIKATARU

子らに語る時々日記

向こうもこちらも要は同じようなもの

帰宅後、横になって眺めるように映画「とうもろこしの島」を観た。

遙か彼方、コーカサスの地。
アブハジアとジョージアが戦火交える最前線、その境に位置する小さな中洲が舞台である。

老人が船で中洲に乗り付けその地を耕し、とうもろこしを植えるところから映画が始まり、栽培の過程がたんたんと静かに描かれる。

おそらくは孫娘であろう少女が老人とその中州で一緒に暮らす。

ときおり森の向こうから銃声が響き、アブハジアかジョージアかどちらかの兵士が船で中洲を通りかかる。
間違いなくその地は紛争の只中に置かれているのだった。

水がいいのか土がいいのか、その地では大昔から中洲を利用してとうもろこしが栽培されていたのだろう。
その長く静かな時間の流れがあくまで主旋律であるので、そこに紛れ込む人間の対立が場違いなものとして映る。

悠久の自然と時間の流れを背景にしたとき、川に向こうもこちらもあったものではなく、両者は親和的に融合して見えるので、互い銃を向け合う姿は奇異以外の何ものでもない。

向こうもこちらも要は同じようなもの。
その真実が理屈ではなく、映像によって告げ知らされるから説得力は絶大だ。

眠りにつきつつ思う。
とかくこの世では対立が尽きないが、ここで描かれたような超越的な視点はあった方がいいだろう。

ラストシーンは諸行無常と再生。
時間というものについて大いに学べ、何かの流れに溶け込むようにわたしは安らか眠りに落ちることができた。