KORANIKATARU

子らに語る時々日記

恐怖という名の太陽

土曜夜、ペリエを片手に「太陽の下で」を観はじめた。

平壌に暮らす一家族の日常を追うドキュメンタリー。
もともとはそのように企画された映画であった。

が、ロシア制作チームが現地に乗り込んだ時点で、すでに綿密に構成された台本が北朝鮮当局によって整えられていた。
ヴィタリー・マンスキー監督率いるロシアチームは当局の監視下に置かれ、当局がする演出をそのまま撮影する役割を充てがわれたようなものであった。

だからこそ仕上がった作品は北朝鮮の真実を垣間見せる紛れもないドキュメンタリーに成り得たと言えるだろう。

制作チームは台本どおりの撮影を進めつつ、監視の目をかいくぐり舞台裏をも見事カメラに捉え続けた。

大広場でのダンスの宴が終わった後、後片付けとともに笑顔も仕舞い込む群衆のうつろな表情、バスが動かないので乗るのではなく民衆らが押して歩くシーン、ゴミ箱を漁る少年たち、集合住宅の窓からのぞき見える生活の断片。

1シーン1シーンの映像からじかに北朝鮮の暮らしの実質が伝わってくる。

ドキュメンタリーの主役は年端も行かない少女ジンミ。
ジンミの一挙手一投足をカメラは収めるが、現場には常に演出する者らが控えており笑顔の仕方からセリフまで逐一ミンジに指示を出す。

北朝鮮側は嘘に嘘を塗り固めた虚飾をカメラの前に造り上げ、一方でロシアチームはその背景に潜むありのままをすくい取る。

その二重構造によって、笑顔も拍手も労働者が励まし合う姿もお祝いの花束も教師の熱心さも工場の生産性も、そして友だちの怪我も完治も見舞いでさえまるっきりの嘘であると観る者には分かり、その嘘を暗黙強要する巨大な力があぶり出されることになる。

民衆が盛って盛って作り上げる虚像を目にしつつ、リア充アピール盛んな日本庶民のインスタのことが頭をよぎるが、恐怖を背景に首領様を神格化する道具にされるのと、自らを首領様化し悦に入るインスタでは、事の深刻さが雲泥の差。
そんなことを思った自分の不謹慎を恥じつつ、彼ら民衆の胸中を思って心が塞いだ。

撮影の合間合間、北朝鮮の少女らの表情は笑顔から無に変じ、カメラや友だちとは別の方へと素早く視線が動く。
この国の民の視線の先にあるのが恐怖なのだとカメラは正確に捉え続けていた。