KORANIKATARU

子らに語る時々日記

自らの寸法を見失うような状況に置かれたときには

書いておかないとそのうち忘れ去る。

が、書けば行間に余さず記憶が格納されて先々いつでもよみがえることになり、文字となって残る記憶の断片を子らは必要あれば参照できることになる。

だから日記には意味がある。

この日、わたしは年甲斐もなく緊張していた。
予定時刻より30分も早くに着いた。
スーツ姿では暑過ぎて外にはいられず、豪勢な設えの一階ロビーの隅に立って時間が来るのを待った。

待つ間、子らのことを考える。

長男の定期考査は残すところあと一日。
非常時のような数日を彼は過ごしていて、その様子は例えればリングに立つボクサーさながらといった様子だ。

ラッシュするように勉強に取り組んだかと思えば、ダウンしのびて、また立ち上がってラッシュする。
始発で学校に向かい、家に戻ってまずダウンし、そしてラッシュ&ダウンの繰り返し。

そこまで懸命に取り組んでも敵わない奴らが学校にはゴロゴロいるから凄まじい。

いつの日か「日頃から取り組む」という王道に目覚めるときが来るだろう。
しかし、わたしも大人になってから身についた口なので、偉そうなことは言えない。

先日のこと。
そんな長男に、これはいいよ参考にした方がいいと動画を送った。
マイク・タイソンの練習風景を撮影した10分あまりの動画である。

勉強が捗る音楽があるように、勉強に魂を吹き込む動画があって、タイソンのそれはお誂え向きと言えた。

間髪入れぬ動きのスピード、炸裂するパワーと破壊力、かさにかかっていく迫力と集中力。
人間ならぬものが乗り移ったかのようなその猛威を目に焼き付ければ、勉強に身が入ることまちがいない。

タイソンの余勢を駆って、課題をコーナーに追い詰め一気呵成に連打する。
たいていの課題は瞬殺だろう。

そんなことを思っている間に時間が過ぎた。
ちょうど5分前。
受付で訪問の挨拶を述べ取次ぎを頼んだ。

見惚れるような眺望の会議室に通され、そこで待つ。

仕事柄、連日のように初対面の方と話す。
だからこんな状況には慣れており、なんでもないことのはずである。

が、この日は特別な紹介を受けての面通しであったので、いつもとは勝手異なりいつにも増して気が引き締まっていた。

これから始まるこの時間、ここに座るわたしは期待ハズレな存在であってはならず、これから展開される話について的確に芯を捉えて打てば響くといった切れ味を発揮しなければならなかった。

肩に余計な力が入るのは当然で、それはどうしようもないことだった。

雨のあがった大阪の街が窓外に見える。
できるだけ視線を遠くに向ける。
緊張をほぐすには遠くを見るのが効果的、その場で勝手にそう決めつけた。

そんなことをしている自分がおかしく思えて、同時に感謝の念も込み上がってきた。

なんてありがたいことなのだろう。
自力でこんな機会を得られるはずがない。

わたしをこの場に運んできたのは、一言にすればつながりの力。
確固たるつながりをたどる以外にここに到達する道はない。

要塞のような場所の一隅、わたしは一人で座るが背後に数々の頼もしい仲間の姿が浮かんでくる。

自身の寸法を見失うようなシチュエーションに置かれたときは、自らのつながりを思うのが効果的だ。
それで幾分かは気持ちの劣勢を盛り返すことができたように思う。

そして、いつものとおり。
無事なごやか有意義な面談を終えることができた。

ビルを出ると、途端に空腹を覚えた。
さあ、何を食べようとわたしは軽快に歩きはじめた。

吉野家の看板と目が合うことになるのは数秒後のことだった。