駅を降り、いったん家に立ち寄る。
昼過ぎの時刻、直射日光のもと歩くと頭が吹き飛びそうなほどの暑さである。
涼を求めて家に駆け込んだ。
ちょうど家内も戻ったところだった。
この日午前は地域ボランティアの活動があってお年寄りのため料理を振る舞ってきたという。
お裾分けのいなり寿司やお吸い物を出してくれたので、ちょいとの間腰掛け我が家で骨を休めた。
食べて驚いた。
何の変哲もない料理であるが結構いける。
さぞかしお年寄りらは喜んだであろう。
地域のために何かする。
とても大事なことである。
さてと腰を上げると、次の訪問先まで家内が運転してくれると言う。
思った以上の暑さであったので好意に甘えることにした。
車中、二男の話になった。
彼は泉州方面の友人に教えられるまでメンチという言葉を知らなかったそうだ。
わたしが生まれ育った下町ではメンチは空気のようにありふれたものだった。
力によって序列が形成されて、その誇示の手段がメンチであった。
だから誰もが一歩外に出ればメンチの洗礼を受け、ときにメンチをする側になり、ときにメンチに気圧され目を伏せる側になった。
目は口ほどにものを言う。
大阪下町の子どもたちなら誰もが身をもって学んでいることである。
長じるにつれ多くは社会性をまとい、原始的な力のロジックからは解き放たれてメンチを卒業することになる。
メンチが幅を利かせるのはせいぜいが10代までといったところだろう。
その10代真っ只中であるはずなのに、地域によってはメンチと無縁であるということが新鮮に感じられ、しばらく考え、メンチといった誇示が必要となる方が特殊な話であろうと思い直した。
見ず知らずの誰かを睨む。
睨みつけてまで優位であろうとする。
そうせざるを得ない心象風景はどうあってもうすら寒いものだろう。
誰か他人から奪い取って保つ類の自尊心とも言え、突き詰めれば本人も楽ではないだろうし、とても健全とは思えない。
そしてそのようにメンチを捉えたとき、それが何も子どもだけの専売特許ではないことにも思い至る。
メンチと同種の自己顕示はいい歳した大人の間でも散見される。
何か張り合ってするような類のものはすべて広義のメンチと言えて、下町の子らがするメンチ同様にうすら寒くて、はしたない。
見渡せば、あれもメンチ、これもメンチ。
山の手も下町も関係なく、目を凝らせばメンチだらけの世の中だ。
メンチが枕になって、二男が帰国した際の話題ができた。
広義のメンチについて彼に自説をレクチャーすることにしよう。
息子からの写真