帰宅し果肉たっぷりの梅ジュースを飲む。
滅多にお酒を飲まなくなって、家で飲むものが様変わりした。
たっぷり運動し湯につかり、カラダ喜ぶ健康ジュースを毎夜飲む。
若い頃からこんな風に暮らしていれば、もうちょっとマシな男になれたのかもしれない。
大学生になって一人暮らしを始め、以来結婚するまで、黒い太陽を浴びる陰性植物みたいにジャンクなものを全身で吸収してきた。
カラダを全くケアしてこなかった過去を思うとため息しか出ない。
もうわたしのことは仕方がない。
せめて余生だけはましなコンディションでいられるよう家内の導きに従うまでである。
希望は子どもたち。
二人は生まれたときから、わたしとは口にするものが異なる。
ついついわたしの習性で彼らにペヤングやエナジードリンクを買い与えたりするが、家内のフォローはわたしが及ぶすマイナスを補って余りある。
それに二人は生まれたときから運動も欠かさない。
乳幼児のころから泳ぎ足腰立てば体操し、まもなく野猿のごとく走り回るようになって、その走りはラグビーで激しいタックル食らうまで止まることがなかった。
おまけに子どもの頃からサラダを好んで食べてきた。
焼肉屋でサラダを頼み、ビュッフェでも野菜を山盛り食べる。
わたしが子どもの頃には考えられなかったことであり、今もそう。
育ちが違う、というしかない話である。
お酒についても、わたしの背から学んでいるだろう。
わたしの貢献があってこそ。
彼らのなかお酒に対する一定の忌避感は確固形作られたように思える。
だから、大人になってお酒をたしなみはするだろうが、日常的に飲むようにはならないだろうし、まして飲まれることはないはずだ。
当然、タバコを吸うはずもない。
健康リテラシーで彼らはわたしのはるか上を行く。
子の健康に細心の注意を払ってプラスになるものだけを取捨選択してきた家内の日々弛まぬ尽力の賜物であろう。
家内の思いが未来に渡って子らの血肉になったようなものであり、思えばそれが母として果たすべき最大の役割でもあったと言えるのだろう。
そして、そのお裾分けにわたしも与る。
未明の時刻、わたしは弁当を持たずに家を出た。
この日、訪問先の近くに陳麻家肥後橋店があった。
担々麺セットで昼は決まりだ。
そうほくそ笑んで仕事していたところ、事務所に電話が入った。
家内からである。
指示された時刻は10:53。
事務所近くの駅の改札に出かけ、わたしはそこで弁当を受け取ることになった。
担々麺セットの夢は、焼鳥丼弁当に打ち砕かれることになった。
息子からの写真