旅する際、外交的な人が一緒にいれば道中の彩りが増す。
例えば道に迷ったとして、わたし一人だったら困っていても黙して自力で状況を打開しようとする。
ここに家内がいるとアプローチが全く異なる。
彼女はまず真っ先に、人に聞く。
先日旅した上海。
タクシーだけではその地の空気は味わえない。
目的地まで地下鉄を乗り継ぎバスも使った。
当然はじめての地であるから道など全く分からない。
わたしは地図を見てそこから解を探ろうとする。
が、家内は道行く人をつかまえる。
若く知的そうな人であればたいてい英語が通じ、解はその場で手っ取り早くもたらされた。
時には道案内を買って出てくれる親切な人もいた。
それで道中、会話が発生するのであったが、あとで思い返すとそんな些細な場面の方が名所旧跡よりも深く記憶に残ることになる。
数々の旅を振り返ってみても、訪ね歩いた場所より飛行機やコーチバスで隣り合って話した人との会話の方が思い出深い。
もちろんわたしは寡黙な男。
見知らぬ人との会話のきっかけは、必ず家内。
今回も家内が声をかけ、そして様々な人に助けられた。
わたしたちが無事目的地にたどり着けたのは、彼の地の人々の優しさがあってこそのことであった。
素通りしていれば現地の人の茶目っ気や心くばりに直に触れることなく、無知なまま十把一からげな感想を抱くだけであったかもしれない。
が、少し話せば、その地にもぐっと人をひきつける様々な相貌があるのだと肌で知ることになる。
親近感も湧くというものだろう。
子育ての手が離れ、この先は夫婦二人で旅する機会がもっと増えるだろう。
数多くのふとした出合いが手ぐすね引いて待ち構えている。
その彩りを思うだけでも心賑わう。