KORANIKATARU

子らに語る時々日記

感じいい日常の絶対条件

連休が明けた途端に業務たて込み、早朝から根を詰めて作業し頭のヒューズが飛んだ所で気づけば午後1時。

 

やはりじっとしてばかりではカラダに毒だ。

食事を済ませ一息入れることにした。

 

この季節、気分転換には散歩が一番。

川を吹き渡る涼風を求めて淀川大橋へと向かった。

 

長さ720m。

行って戻ってくるのにちょうどいい距離である。

 

空晴れ渡り、遮るものなく陽の光が照りつけるが、やはり秋、ふんわりとした程度の温かみが心地いい。

巨大な生き物の背のようにのったり川面が揺れてキラキラ光る。

 

塞がっていた全身の感覚が外に開いて、自然の息遣いが肌で感じられるかのよう。

風に吹かれて歩くだけで気持ち伸びやとなって頬も緩む。

 

川向こうは大阪屈指の下町。

神社があるのでそこで手を合わせて引き返す。

 

途中、昭和を思わせるようなレトロな装いの米屋があって、突如プラッシーの記憶が蘇った。

 

プラッシーと言えば米屋でしか手に入らないレアなジュースであり、だから飲む機会は限られていたが結構おいしく、米屋を見れば条件反射的にプラッシーが頭に浮かぶという幼少期であった。

 

いつしか大人になってプラッシーのことは記憶の地層の奥深くにしまい込まれて蓋をされた。

その記憶の目詰まりが解消されたのだから、ぶらり歩くことの効能は計り知れない。

 

プラッシーにありついて喜んだ幼い頃を思い出しつつ、束の間の自由の空気を思う存分吸い込む。

 

いつだって靴を履き替え、橋の向こうへ行って戻ってくることができる。

他愛のないことであるように見えて、この自由感こそ、感じいい日常の絶対条件だと痛感した散歩タイムとなった。