1
ちょうど乾杯の発声に差し掛かろうというとき、漫才のお決まり芸のようにまた間が入って、ずっこけた。
乾杯のスタンバイをしつつ、このお酒は1本1万円もするので飲まずに舐めるだけにするようにといった代表幹事の忠告にわたしたちはおとなしく耳を傾けた。
と、電話が鳴った。
かかってくるはずの電話であり、すぐに対応しなければならなかった。
わたしは缶ビールをテーブルに置き離席した。
会場である食堂を出て階段下で応答する。
応急的な話だけ済ませて食堂に戻ろうとし、瞬時正気に戻った。
食堂のなか設えられた料理のブースはいずれも長蛇の列。
小鯛雀鮨すし万、ペッシェロッソ、味らい、オリエンタルベーカーリー、霧島酒造、阿吽。
いずれも名店だとのことで関心はあったが、相当の根性と執着で人波かきわけ手を伸ばさない限りありつけないだろうとは予想したとおりだった。
今回、スケジュールの仕切りが強く自由な時間がほとんどない。
全部で2時間の枠のうち、のんびり歓談できる時間はのべにして30分程度である。
つまり、並んで終わりという様相が見て取れた。
久々お目にかかった方々とも会釈だけしている間にまた仕切りが入る。
そう瞬時に見通せた。
わたしは急ぎ仕事に向かうことにした。
結局、料理にもお酒にも手をつけず会場を後にした。
5,000円の会費を惜しんでいる場合ではなかった。
わたしは自営業者。
手の鳴る方に暮らしの基盤があり、だから当然、手の鳴る方に向かうというのが大原則なのだった。
ちょうど電話の向こうでもまもなく忘年会が始まろうとしているところだった。
いま持ち上がっている案件もそこに行けば交通整理ができて話が早い。
当初、顧客先の忘年会の出席を断り、母校の忘年会を選んだわたしは、自身がしがない自営業者であることを失念していたようなものであった。
2
今回の大忘年会はいつもとは異なる趣向であるとは聞いていた。
学校を会場にするということからして斬新。
だから、面白そうだと楽しみにし参加した。
受付を済ませるとまずは勉強会があるという。
4時から宴会、わたしはそう思っていたので一瞬腰が引けた。
が、星光にちなんだ出し物に触れられる良い機会と捉え、関心の出力を最大限にあげて臨むことにした。
勉強会のテーマは代表幹事が携わる社会活動についてのものだった。
その活動の意義は認めつつも、懐かしの顔が年一回集う場で、師走出だしの貴重な土曜に取り上げることではないように思えた。
抽象概念のレベルで言えば星光の理念と共通性がなくもないが、それでもやはりこじつけに過ぎるように感じられた。
短時間でかいつまんだ話だったからだろうか、目の粗い浪花節的な話という印象が拭えず、その時点では深く共感するまでには至らなかった。
要は呆気にとられたということであり、だから最後に書くよう言われた感想文は白紙のままとした。
周囲見ると過半の人が白紙のままだったのではないだろうか。
3
この同じ日、早稲田大学大野研究室のOB・OG会が高田馬場で開催されていた。
単に集まって飲むだけでは芸がない。
大野先生はそう考え、一案講じた。
乾杯の前に、参加者が3分スピーチを行う。
たとえば5名が何かのテーマについてアウトラインを語るだけでも、乾杯後の話のとっかかりが5つも生まれる。
その案を知ったとき、なるほどと感心した。
星光の大忘年会においても、勉強会をするのであれば星光由来の方々にテーマ設けて話をしてもらうというのが、聴衆を前のめりにさせる最低限の条件であったのではないだろうか。
奇遇なことに、この日の代表幹事は早稲田人。
今回の大忘年会をその視点で見れば、なんとも早稲田人らしい発案であり、早稲田人の独走と表現するしかなかった。
こういうことは早稲田人にしかできず、一歩間違えれば顰蹙と背中合わせであるが、みごと成功すれば拍手大喝采となる。
社会活動にかける熱意と使命感、それを星光大忘年会に接続しようとした実行力。
早稲田人に対する敬意を新たにしたというのは、ほんとうのことである。
大学の恩師は言った。
日本を救う者は早稲田から生まれる。
この日勉強会で取り上げられた社会活動はまさに利他のものであり、その意味で今回の代表幹事も間違いなく日本を救う志の者であると言えた。
4
午後10時、家の門を開けるとすぐに家内から電話がかかってきた。
話していると電話の声が近づいてくるように感じられた。
いまどこかと家内に聞くと、もう家の前だという。
ほぼ同時の帰宅であった。
長男の学年懇親会の様子を家内から聞く。
関わる教師が全員参加の会だった。
一人一人の先生から息子の様子を聞かされた。
隣り合って話す場面もあれば、会場を歩いて呼び止められてちょっとしたエピソードを聞かされるという場面もあった。
伝え聞く息子の様々な側面が一つに合わさり、彼のありありとした姿が立体的になって浮かんだ。
多くの方々に背を押され支えられ、我が子が少年から青年へ変貌しつつあることがイメージ豊かに理解できた。
家内から何度も同じ話を聞きながらしみじみ思う。
あっと言う間。
わたしたち33期が幹事学年になるのは3年後である。
その頃合い、子育てという、人生で言えば夏のような季節がわたしにとっては終幕となる。
ほんとうにあっと言う間。
この日勉強会で代表幹事が紹介していた言葉がふとよみがえる。
「人間の幸福は老後にある」
その言葉の意味が時間差を経て身にしみてくるような気がした。