仕事納めは28日。
昨年は午前中に仕事を切り上げ家族伴いソウルに向かった。
激甚の寒さのソウルに震え上がり、一夜明けて目を見張った。
ホテルの窓の向こうに見えたのは白銀の世界であった。
身を寄せ合って街路を歩き、地下鉄を乗り継ぎ、時折はタクシーを使った。
時間を惜しむように常にてきぱき動き回って各地を探訪する旅であった。
地元民に紛れて食事したトッポッギの屋台、地下鉄の車窓の向こう突如姿現した漢江、残雪の路面からしんしんとせり上がってくる寒気、チムジルバンで憩う出稼ぎおじさん達の横顔、手荒な運転のタクシーのなかで聞いた演歌、寡黙で折り目正しい年配のドライバーが流したショパン、エトセトラエトセトラ、何もかもがまだ記憶に鮮明だ。
来たる2018年は年始に家族とともに旅に出る。
フィットネスジムとプールが景観も含めて素晴らしいと聞いている。
たっぷり運動し見知らぬ街を練り歩き精のつくものをもりもり食べる旅となるのだろう。
年末年始だけは肩の荷降りる。
振り返ればあっという間、A4一枚に集約されかねない一年という時間であるが、迎える場合にはかなり分厚く盛り沢山であってその未知の集積に目眩さえ覚える。
とても一度では咀嚼できない。
365等分に小分けにされた一日一日、下ろしたてほやほやの時間の封を一つ一つ開けていく。
いいこともあれば、よくないこともあって、いずれにしても結構ハードで草臥れる。
未知という福袋を手にするには命の火を引き換えに差し出さなければならい。
草臥れるのも当然だろう。
だから一呼吸置く干渉地帯が不可欠で、それが年末年始。
このときばかりは時間は歩を緩め、辺りを覆う非日常感が無骨な未知の手触りを柔らかなものにしてくれる。
さあ、思う存分くつろごう。
日常への合流は、鏡開きの頃になるだろうか。