熱が出るなど何年ぶりのことだろう。
午前中は元気だったのに昼になって突如、関節がこわばり脇腹に寒気を覚えた。
それが初期症状だった。
そのうち全身がぞくぞくし始めて、座っているだけでも苦しくなった。
思い当たることがあった。
先日の帰国の日、息子が少しばかり調子を崩していた。
「ちょっと気持ち悪い」
息子はそうとしか言わなかったので、単に疲れたのだろうとだけわたしは思った。
おそらく同じ症状がわたしにも訪れたのに違いなかった。
息子の場合は、若く頑丈。
ウイルスに感染しても蚊に刺された程度の反応で済む。
が、中年になると話は異なる。
楽勝でウイルスを撃退するなど夢のまた夢、いまや苦戦は避けられない。
かといって、1月の序盤から不調に見舞われている場合ではなかった。
翌日に備え午後5時には仕事を切り上げ事務所を後にした。
外気に晒され、症状がますます悪化していくのがわかった。
クルマへと向かう僅かな距離ですら歩くのがつらく寒さが募った。
暖房の出力を最大にしてクルマを発進させた。
ときおり、朦朧とする。
ほっぺを叩いて正気を保ち、なんとか無事家までたどり着いた。
厚着してベッドに転がり込む。
毛布を何枚もかぶって息を潜めた。
ウイルスを撃退すること。
それがそのときのわたしの全課題であった。
課題はシンプルで、講じる対策もあたたかくして眠ることだけなので、余計なことを何も考える必要がない。
苦しさでうめき声も自然に漏れるが、余計なことを考えずに済むという状態は結構、楽だ。
苦しいが楽というせめぎあいのなか、楽が勝っていた。
一種の戦時ではあるが、安全確実な退避場所にあって心安らかという状態であった。
ウイルス撃破も時間の問題だった。
一眠りして、少しマシになった。
まったく食欲はなかったが、みかんだけは食べておこうとリビングに降りた。
どうやら家内も不調に訪れられたようだった。
やはり息子を筆頭にしての一連の症状は同じ根を持つものに違いなかった。
先行者として助言する。
少し眠れば良くなるよ。
大人二人はダウンしているが、息子は元気で、うちには息子が二人もいる。
いざとなれば、その息子二人がなんとかしてくれる。
そんな安心感で鉄壁の我が家である。
まさに飛んで火に入る夏の虫、ウイルスなどお門違いも甚だしいという話であった。