家族全員がウルトラギガモンスター50GBに入っている。
それでふと思った。
うちの家のWi-Fiにはどんな意味があるのだろう。
月あたり各自50GBもあれば、iPhoneもiPadもWi-Fiにつなぐ必要がない。
家でノートパソコンが使われる機会は極小であり、わざわざ取り出し起動するのも面倒で、手はごく自然iPadに伸びる。
やはりWi-Fiは使われない。
そう言えば、固定電話もFAXもほとんど出る幕がない。
Wi-Fiだけでなく、電話回線やFAX回線も使われることがないので、あってないようなもの。
それなのに払いは続く。
無駄な出費であるかもしれない。
そう思い当たるのではあるが、だからといって解約撤去するのも躊躇われる。
もし万が一、事務所の通信機能に不具合生じれば、家のインフラでそのまま代替できる。
つまりは、いざというときの副都心機能。
それにその気になれば、いつだって夢の在宅勤務を実現できる。
無駄ではなく選択肢を買うようなもの。
そう思えば意味ある出費と言えるだろう。
しかもそれだけでなく、思いがけず役立つこともある。
この夜、遠くオーストラリアから我が家に来客があった。
家内の古くからの友人の娘さんたち。
そのとき、わたしはタコちゃんと並んで寿司を食べていたのであったが、家内から電話が入って身構えた。
何かあったのか。
緊張が走った。
用件はWi-Fiのパスワード。
外国からの来客にとっては重宝なことだろう。
出番を失いふてくされていて我が家のWi-Fiが、役目を得て大ハッスルする。
嬉々とするWi-Fiの様子が目に浮かぶ。
何であれ誰であれ、役に立つということがある。
そのときのWi-Fiの気持ちがわたしには手に取るように分かった。