ジムを終えて和らかの湯へとクルマを走らせる。
ふところには、抽選引換券が5枚。
これで新春ガラガラくじを一回引くことができる。
他愛のないことであるが、心浮き立つ。
到着し、迷う。
湯に入る前にくじを引こうか、湯を上がってからにしようか。
湯を上がってからでは風呂につかって落ち着かない。
入る前にさっさと済ませよう。
そう決めた。
大きな商品が当たってしまうとロッカーに入らないかもしれない。
その場合は預かってもらえばいい。
そこまで考え、抽選特設コーナーに進み出た。
クリップで留めた引換券5枚を係りの若者に手渡す。
ガラガラくじを前にし、何でもないような感じで無表情を装いハンドルに手をかけた。
「こんなの当たっちゃったよ」
手柄話するみたいに家内に報告するシーンが頭に浮かんで、顔がほころびそうになるがこらえた。
ゆっくりまわして2回転目。
ぽとり、とまるで鳩の糞。
注視するにも値しない、単なる白球が受皿に落ちた。
無がその場を横切った。
若者は気のないような声で大当たりと言って、そこらに捨て置かれているような割引クーポン券を差し出した。
そこに記されたアカスリ迎春コースにもフライドポテト増量にもわたしは用がない。
礼儀として一応は受け取り、そして正気に返った。
特設コーナーに陳列された商品群を見渡せば、どうってことのないようなものばかり。
買おうと思えば、どれもこれもいつだってどこでだって手に入れられる。
負け惜しみではない。
揃いも揃って我が家にすでに備わっているものであるから、酸っぱいブドウのたとえみたいに悔しがることさえできない代物たちである。
フライパンが当たっても、うちではもっといいフライパンを使っているので荷物になるだけ。
家内を困らせるだけであっただろう。
ああ、当たらないで良かった。
コーヒーメーカーも家にある。
もし当たっていれば、わたしたちは一体どれだけのコーヒーを日々飲まねばならなかっただろう。
ほっと胸撫で下ろすような気持ちになる。
そしてしみじみと思う。
ここで貴重な運を使わず済んで本当によかった。
繰り返すが負け惜しみではない。
運によって暮らしを成り立たせる自営業の身。
こんなところで運を使っている場合ではない。
当たらなかったことに対し感謝するような思いとなる。
新春ガラガラくじは月末まで行われる。
いま手持ちが1枚。
一回の入場で1枚もらえるので月末までにまたちょうど5枚が取り揃う。
どうか当たりませんように。
そう懇願しつつ、再びわたしはガラガラくじの前に立つのだろう。