二月は日数少なく月末に寄る余裕がなかった。
昨日になってようやく実家に顔を出せた。
こたつに入って、しばし両親と過ごした。
祖父の話になった。
祖父はわたしが大学に入る前に亡くなった。
一報を聞き自転車駆って病院に向かったシーンはいまも記憶に鮮明だ。
弟が前を走り、わたしが追う。
深夜閑散とした通りに存在するのはわたしたち二人だけ。
道路灯に照らされる弟の姿を凝視しつつ、わたしは懸命に自転車を漕いだ。
記憶の場面に「今」が入り込み、自転車に乗る二人がわたしの息子二人に入れ替わる。
回想が介在し、持って回った仕方で気づく。
いま息子たちは当時のわたしたち兄弟と同じような歳なのだった。
ゆっくりと流れているようであっという間。
息子二人は猛スピードで成長し、わたしたち兄弟は何の実感もなく中年となり、両親は年齢を重ね後期高齢と呼ばれる区分に差し掛かった。
それが自然の流れで押し留めることはできないが、顔が入れ替わるだけで、場面場面は留まり続ける。
いつの日か、わたしと家内が茶を飲むこたつに、ひょっこり現れた息子も入ってひととき過ごしていくということになる。
まず手始めにこたつが要るが、家は十分に温かくこたつは不要と家内は言うだろう。