KORANIKATARU

子らに語る時々日記

誰もが残酷になれる

夜9時前、神戸線のホームには人があふれ、電車来る様子がない。

何か事故でもあったのだろうか。

 

そのまま改札を出て阪神電車に向かった。

ふと息子らのことが頭をよぎる。

いま帰途についているとしたら、彼らもそうするだろう。

阪神電車でも阪急電車でも家にはたどり着ける。

 

急行で10分ほど。

甲子園駅で降りる。

 

JRの駅方面へと向かうバスが停車しているのが見えた。

雨のなかわたしは全速力でバスへと駆け出した。

 

正面に見えるバスが眼前に迫り、わたしは運転手に手を振った。

あと一歩、というところ。

 

9時10分定刻、扉はぴしゃり閉ざされバスは静かに発進した。

 

ちょうど改修工事中でバス停に屋根はない。

雨に濡れつつ、思う。

これぞまさしく映画『アイヒマンの後継者ミルグラム博士の恐るべき告発』が描いた世界そのもの。

 

わたしたちは職務に忠実なあまり、普通の顔をして残酷な領域を行き来する。

教師役はできの悪い生徒役に平気で高圧電流を流し、看守役は囚人役をこっぴどくどやしつける。

 

職務のもと疑問はかき消え、誰もが残酷になれる。

 

自分は違う、というのは自惚れにもほどがある。

皆が上を見上げていれば、そこに何もなくても、ついつい上を見上げてしまうみたいに、そうする設定に置かれれば、設定に譲歩しわたしたちは求められる役割を果たしてしまう。

 

そこに意志など存在しない。

まるで操り人形。

それが人間なのだと捉えれば、どんな残酷なことをしたって不思議はない。

 

そうこうするうち、次のバスがやってきた。

座席に座って、駅の改札を凝視する。

 

バスの扉はまだ開いている。

どうか誰も走り込んで来ませんように。

わたしは祈るような気持ちになる。

 

幸い、全速力で発車間際のバスに駆け込もうとする愚か者はなかった。

残酷なシーンを目にせず済んで、わたしは心底ほっとした。