根が貧乏性だからだろう。
朝昼晩と好き勝手外食する日がしばらく続き、いつの間にか長期に渡って、ここ最近、おぼろながら罪悪感のようなものが芽生え始めてきた。
値段を気にせず食べたいものを食べ、夜、たまにお酒も飲めば結構な出費になる。
一日だけならともかくそれが毎日となると出費の額は右肩上がりで、試しに一年分を累計すれば、ちょっと一瞬、言葉を失う。
このところはお酒飲む日がめっきり減って出費額は逓減していると思っていたが、その分の補償行為か、夕飯を充実させてしまうので使いすぎていることに変わりない。
まもなく4月1日エイプリルフール。
予算をきちんと決めて飯を食う。
自らをそう仕向けようと思う。
例えば朝と昼を牛丼屋で済ませるなら合わせて1,000円で済み、夜は少したがを外すにしてもせいぜい1,000円を限度にする。
そうすると都合三食、総額2,000円でまかなえることになる。
2,000円という数字を眺めてみて、この目減り感に清々しささえ覚える。
そもそもが大阪下町の生まれ育ちで貧乏の出。
貧乏性が、芯から染み付いている。
ちゃんとブレーキ発動する貧乏センサーが内蔵されているのだと、これは親に感謝すべきことだろう。
分際わきまえずやみくもに垂れ流せば、小市民的な懐はすぐに干上がって身を持ち崩すことになる。
つまり、サバイバルのキーワードは貧乏性。
なんだかしみったれたような言葉であるが、子らにも備わるよう心砕くのが親心と言えるだろう。
貧乏性が貧乏性を育て、貧乏性が貧乏性をめとって、立派な貧乏性を授かることになる。
これこそ逆説的だが、黄金サイクルの王道。
ここにうっかりブレーキ外れた者が紛れ込むと、まさに蟻の一穴、全部ぶち壊しとなるので、ご用心ご用心である。