KORANIKATARU

子らに語る時々日記

元手はこのカラダひとつ

弁当を携えクルマを発進させる。

時刻は朝の5時。

 

青空が広がり進路の先からちょうど太陽が顔を出し始めている。

分厚い雨雲はもうどこにもない。

 

何もかもが色鮮やかで目に眩しい。

月曜なのに心浮き立つ。

 

事務所に着いてすぐブラインドを全開にした。

南に向いた窓全面が天然の光源となって室内が光で満ちる。

この瞬間、今日も良い日になると決定づけられた。

 

久しぶりの快晴となったこの日、家内には京都の仕事を頼んであった。

前倒しで要領よく動いて昼前には任務完遂したようだった。

 

あとは自由時間。

GPSがついていれば、一目散京都市街へと進む家内の様子が見て取れただろう。

仕事がてらの小旅行は単に小旅行するより充実感あって遥かに楽しいに違いない。

 

週が明けまたコツコツと仕事する。

遊んで暮らすなど夢のまた夢。

 

あれやこれや頭を悩ませ胃を痛めなんとか課題をクリアしていく。

骨折りであるが区切りがつけば清々しい。

節目ごとの小さな達成を目指して少しずつでも前へと進む。

 

日々暮らさなければならず、やがては老後が訪れる。

子の教育費もまだまだ嵩むし大学に行けば更に要る。

彼らの身中に糧が宿るのであれば惜しくない。

が、気軽にポケットから出せるような額でもない。

勉強するテーマによっては別途お金がかるだろうし、留学するとなれば工面する額はもっと跳ね上がるかもしれない。

 

それらをまかない、不足の事態も頭にいれて備えあれば憂いなしということでなければならず、あって困るものではないだろうからせめてもの親心、幾らかくらいは後に残したい。

 

元手はこのカラダ一つ。

だから、働くしかない。

 

稼ぐに追いつく貧乏なし、というとおり働くことが最も理に適う。

 

長くしぶとくますます盛ん。

そんな気構えで働き続ける。

それ以外のやり方で未来の扉が開くとは思えない。

 

家内はいたずらっぽく身近な富裕者らがするインスタなどをわたしに見せる。

 

どの写真もご機嫌麗しく優雅で華やか。

庶民にはとても手の出ない域の贅沢品がアクセントとしてふんだんにあしらわれている。

まるでそこだけゼロ・グラビティ。

 

両肩にずっしり荷が載るわたしたちとは全く別様の在り方だ。

彼我の差は途轍もなく大きい。

 

猥褻とも映るそれらこれみよがしは毒気を含む。

額に汗して必死に働く自分がみみっちく哀れに思えて消沈しそうになるが気を取り直す。

そんなことでエネルギーを奪われていては泣きっ面に蜂。

 

身の丈を見誤れば一気に空っ穴。

働きアリにはそれに見合った暮らし方がある。

余所見してる暇があれば働け働け、である。

 

家内には申し訳ないけれど、わたしはこの程度の器なのだと思う。