ジムを終えて午後8時過ぎ。
43号線を使って帰途につく。
視線の向こうには宵の明星。
ちょうど運良く、しし座レグルスと金星が最接近する時間と重なった。
獅子の心臓部がいつもよりも遥かに大きく、ひときわ明るい光を放っているように見える。
宇宙をスクリーンにしての二大巨星の寡黙な共演にただただ息を呑む。
この日はわたしの誕生日であった。
今日がそうだと分かって何か感慨を抱くのは両親だけだろう。
どんな日だったのか。
生まれた当人であるわたしはその日の様子について何も知らないし見当もつかない。
深い印象を持って記憶しているのは父と母のふたりに限られる。
なにしろわたしが生まれたときの当事者である。
同様に、わたしも息子の誕生の日のことは忘れない。
朝、家内と喫茶店でコーヒーを飲んで仕事にでかけ、夜、病院に運ばれたと実家から電話があり着の身着のままバルナバ病院に駆けつけた。
夜が明け始めるというとき、長男の産声を耳にした。
その二年後。
陣痛が始まったのは夜。
家内と一緒に映画『GO』を家で観ていたときだった。
大慌てでクルマ走らせバルナバ病院に向かった。
空が白み始めたとき、二男の産声を耳にした。
子らの誕生日が来る度その日のことを思い出し感慨にふけり、子らの健在に感謝するということになる。
よくぞ生まれてきてくれた。
つまり誕生日は親にとってこそ意味深い。
日周の軌道が夜空で交差した金星とレグルスを視線の先に見ながら引き続き誕生日というものについて考える。
この日の夕刻、家内からメールがあった。
二男と西北で串カツを食べる。
7時集合。
来る?
という内容だった。
とても7時には間に合わないので断った。
もしかしたら今日がわたしの誕生日だと知っての誘いだったのかもしれない。
しかし結婚して19年。
最初の1年を除き、家内がわたしの誕生日に感づいたことはない。
今回に限って気づくという理由がない。
おそらく単に飲み仲間募る目的のメールだったのだろう。
で、それでわたしが子どもみたいに拗ねたり僻むということもない。
誕生日は親にとってこそ大事な日。
そうだと思うので、その日について当事者でなく何ら感慨持たない者がお祝いムードになる方がどうかしている、という風にわたしは感じる。
もちろん、一つの節目として知人友人などが誕生日を迎えれば「誕生日だね」と祝福のエールを送るくらいの気持ちはある。
が、おめでとうと連呼し歌って踊ってお祝いするなど、トンチンカンなことに思えてとても真似できない。
その日について感慨持つはずのない者が一体何を心からめでたいと思うのだろう。
よく知らない日よりも元旦や新年度初日の方がよほどしみしみ感じるものがあって、はるかにめでたい。
だから、誕生日パーティーといったものが見せる取って付けたような高揚に嘘くささを感じて興ざめる。
誕生日の夜、いつしかわたしの頭は親のことで占められた。
わたし自身に刻み込まれた年月の区分は、そっくりそのまま親の暦ともなっている。
子を持つまでそのような気づき方をしたことはなかった。
まもなく甲子園球場を過ぎて浜田温泉。
大雨の日以来5日連続。
甲子園旭泉の湯につかって炭酸水で夜を過ごすことになる。