二男が南部の合宿に出かけ、幾分かは家事の手が空く。
それならばと家内はひとり東に向かって旅に出た。
その間、長男とわたしが留守を預かることになる。
たまには羽を伸ばすことも必要だろう。
わたしも家でゆっくり過ごすことができる。
旅に出る。
そう告げられたのは昨晩のことだった。
馴染みの魚屋で刺し身を二盛り買って帰宅した。
白ワインを開け夫婦で飲み会。
わたしはこの日の午後、仕事で古川橋を訪れていた。
子らが幼稚園児だった頃、家内に運転してもらって古川橋のダイエーにクルマを停めたことがあった。
当時は仕事が少なく、いろいろと自由が利いた。
午前中に顧客先で仕事を終え、あとは家内とぶらぶらするという過ごし方が可能だった。
そのダイエーに子供服売り場があった。
目を惹くような品揃えではなく何の変哲もない子供服が陳列されていただけであったが、一緒に物色して幾つか買い求めた。
倹約余儀なくされる駆け出し夫婦にとっては子供服買うのでも結構な出費であった。
が、子らに似合うと思うと買わずにはいられなかった。
久々に訪れた古川橋でそんな記憶が蘇り、いまはイオンとなった建物の子供服売り場へと足を運んだ。
確かこのあたり。
記憶をたどってそれらしき店を見つけ、その前に置かれたベンチに腰掛けた。
10年以上も前のこと。
楽しげに子供服を選ぶ若い夫婦の姿がそこにあった。
時の流れのなか雨の日も風の日もあったはずだが、当時からずっと変わらず平穏で幸せだったように思えてくる。
いまがよければすべてよし、ということなのだろう。
家内にとっても古川橋で子ども服買った場面は印象深く記憶に残っているようだった。
わたしの話に何度も頷く視線の先に過去のあれやこれやが浮かんでいるのだろう、いつになく口数が少ない。
当時の苦労を懐かしんでいるようにも見えた。
だから、旅に出るという申し出はその日の会話に自然に調和した。
二男が留守の間、ぶらり思うところをゆっくり巡る。
そんな子育て休暇があっていい。
当然わたしも賛意を表した。
しみじみと過去を振り返って気持ちが満ちる、よい充電の旅となるだろう。