夕刻、暑さは一向に衰える気配がない。
それでも花火見物の人出は時を追うごとに増すばかりであった。
午後になってちらほら見えた浴衣姿が、わたしが帰る頃には一帯を埋め尽くすほどになっていた。
淀川に向かって牛歩の列を成す人だかりが、炎熱によって歪んで見える。
目にするだけで暑さに参ってげんなりしてしまう。
駅が人であふれ返る前、さっさと退避するのが正解と言えた。
電車に揺られているとき、二男からメッセージが届いた。
部活の後、OB宅に寄ってそこで花火見物するという。
巨大な群衆に紛れ込むことは不測の事態と隣合わせでありそれだけでリスク。
屋内であれば静かで涼しく安全。
親としてもその方が安心である。
高層階から間近で目にする数万発の花火はさぞかし艶やかなものだろう。
駅を降り家に着いたときには汗だくになっていた。
いつもより余計目にジムで運動しサウナにも入っていたので発汗促されるのも仕方ない。
冷たいシャワーを浴びビール飲んで一休みしよう、道中に思い描いていた愉悦まであと一歩というところ、家内が現れ愉悦はお預け。
買い物に付き合わされることになった。
この炎天下、家内は町内のふれあい祭りに参加していた。
ヨーヨー釣りとたこせんを受け持ち、祭りは大盛況で、たこせんは飛ぶように売れた。
良い子のお坊ちゃんお嬢ちゃんには気前よくマヨネーズや青のりを大盤振る舞いしとても喜ばれたという。
マヨネーズと青のりてんこ盛りのたこせんを想像してみる。
それはサービスと言えるのだろうか。
胸のうちよぎった疑問は口にせずわたしはだまって家内の話に耳を傾けた。
まもなくガーデンズ。
クルマを停めてまずはキムラフルーツでジュースを調達した。
それを飲みながら、家内は食材を選びわたしはカートを押して店内を回る。
他のスーパーよりも通路幅が広いので買い物に付き合う苦痛の度が少ない。
最後に子らのおやつとして蓬莱のアイスキャンディーを色とりどり買い求め退散。
家に帰ってシャワーも浴びてやっとのこと思い描いた安息の時間が訪れた。
下の息子はOB宅に宿泊で上の息子はまだ帰ってこない。
ビールを飲んで、あてはこんがり焼けて香ばしいガーリック手羽先。
生ハムサラダが続いて、このところ定番となったバロークスを飲む。
長男の夜食は鳥かつと盛岡冷麺。
カツは揚げられるのを待つばかりであり麺に添えられる具も準備万端整っている。
このところはリビングでテレビ見るよりiPadを眺める時間の方が長い。
グラス傾けつつ家内といろいろな人のインスタを見て回る。
珍獣奇獣を扱った動物番組などよりはるかに興味深く、そこに見え隠れする人の業のようなものに強く惹き寄せられてしまう。
発信される自画像は、必ずしもその人の実像と合致している訳ではない。
寄せて上げて盛ってそこに出現した別人の度は種々様々で、分かったうえでする意図的なものもあれば、楽しげで可愛らしいものもあり、なぜなのだろう、見ていてひどく切なくなるようなものも織り混ざる。
これが自分でここが居場所。
ギャップなくそう思えればいまここに安住でき心はいたって平穏。
が、もし理想と現実に乖離があって自画像が引き裂かれていたとすれば、開いた穴からびゅーびゅー風が吹き込んで取り繕うのにいろいろたいへんということになるのかもしれない。
そんなことを話しているうち、門の開く音がした。