見慣れた日常が分厚く堆積し、使い回すロジックが固定化していくからだろうか。
50歳手前にもなると認知が小さく凝固して精彩を失ったように感じられることがある。
ある種の最適化とも言えるので差し当たって暮らしに不都合は生じないが、くすんだ認知はフィールドが変わった途端に用を為さなくなる。
その意味で言えば、人としての退化とも言えて心許ないこと極まりない。
うっかりしていると、ともすれば順応。
無難が最上。
ただ生きるため、それらが最上位の価値に来る。
しかし、順応と無難を主題としたようなドラマもなければ映画もない。
つまり熱を持って信奉できるような概念ではなく、子に胸張ってそれが大事と教えるような在り方でもない。
だから、凝り固まった認知をほぐし再活性させるような試みを欠くと、いつか先々、例えば人生の曲がり角などに差し掛かった際には、自身が拝み奉った価値の無粋と空虚に気づいて暗澹となるようなことになってしまうかもしれない。
シブが作った会社の話を聞いてそんなことを考えた。
「楽しさ」「喜び」「独創性」が会社理念の三本柱。
人の「喜び」「楽しさ」の源である「元気(エナジー)」を提供するだけでなく、それをデザインして「唯一無二」のサービスを提供する会社。
つまりは「独創性」。
仕事について語るシブは元気そのもの、パッションに溢れている。
彼は言った。
中高一貫教育というレールに沿った人生を歩んでいると気づかないが、枠外で生きることによってはじめてもたらされる楽しさや面白さが存在する。
彼の手がける仕事すべてがその言葉を裏付けている。
さすが注目集める期待の起業家。
その考え方は子らにも聞かせたくなるほど示唆に富む。
このところシブと接する機会が増えて、干からびかけた認知に水気が戻ってきたように思える。