今回の同窓会でも前回同様、受付と会計を引き受けた。
午後3時頃から受付をはじめ4時に開宴。
この時点で思った以上に神経を使って草臥れた。
遅れて来る者を待つ必要があり、お金の勘定もあった。
会場の外、なかから聞こえる歓声を耳にしつつ札種を分け枚数を数え会費の受領漏れがないか確認しなければならなかった。
突然のキャンセルは1名のみで想定以上の人数が集まってくれた。
なんとか赤字は免れた。
参加者数と受領したお金の総額もぴったり一致。
ほっとしてそのときはじめて受付の椅子に腰掛けた。
背もたれにカラダ預けてゆっくり深々呼吸する。
なかの歓声がまるで心静める波音のように聞こえ、とても心地いい。
自身の性質と役割がぴったり一致し、自分が何に最も心安らぐのか明瞭に理解できる時間と言えた。
遅れてやってくる33期の友人が姿を現すたび立ち上がり、言葉を交わして会費を受け取り、会場へと送り出す。
たいへんだねと皆労ってくれるが、その役目がわたしには快適だった。
7年前の同窓会のときは一次会と二次会で会費の徴収が別であり入口も別だったので、今回以上に受付&会計が果たす役割はたいへんだった。
あちこち歩き回って未徴収のお金を集め、遅れて来る者があればその都度駆けつけ対応しなければならなかった。
今回は受付に座って待っていればいいので、はるかに楽であった。
午後5時、天六のいんちょが現れた。
よお、と声を掛け合って受付カウンター越し、しばし立ち話をする。
わたしにとってはこのようなやりとりだけで同窓会として十分であった。
一次会の終盤、会場のなかに入る。
用意された席はすべて埋まっていた。
後ろから様子を見守りつつ、ホテル宴会担当に確定人数を告げる。
同じ場所で行われた二次会からは談笑への参加が叶った。
それまで何も飲まず何も食べていなかった。
そんなわたしに気づいて清家くんがコップとビールをどこかから調達してきてくれた。
彼が注いでくれたビールの美味いことといったらなかった。
肩から現金の入ったカバンを提げて回遊していると、入口の方で大きな歓声があがった。
この木曜日に結婚式を挙げた友人がいた。
同窓会の日に合わせて新妻を連れ帰阪するのでその場で皆に紹介したい。
そう連絡をもらっていたが、今のご時世、結婚というワードには神経を使わないといけないらしく、不快に思う人間の気持ちに配慮すれば同窓会に招くのは不適切との意見があった。
大阪星光の男子で仲間の結婚に不快感を覚える者があるなど想像できないし、アメリカ人であれインド人であれ国籍文化を問わず、仲間集う場でそういった申し出を歓迎するのは当たり前のことであるように思えたが、誰かの気持ちを害するのであれば見送らざるを得なかった。
ところが、場の流れというのだろうか。
新婚の彼はごくごく自然な感じで新妻を連れ会場に入ってきた。
めでたいことであるから当然に場は盛り上がった。
ことほぐべきシーンのすべてをシブが余さず撮影し、タコちゃんが即興の司会者となって二人を温かく迎え入れた。
そこに柴田先生まで加わった。
わずか10分ほどであったがミニ披露宴がそこに発生し、思いがけず参列し喜びを分かち合えたことは多くの者にとって喜ばしいことであった。
趣向に富んだ一次会同様、ミニ披露宴というハプニングのあった二次会もあっという間に時間が過ぎて終幕が迫った。
ラストの大団円は「乾杯」。
オーアサがギターで乱舞しソウがシャウトし、ハザマが熱く歌って皆は強く激しく手拍子を打った。
モーセの紅海さながら、次なる十年の道筋がそこにはっきり垣間見えるような瞬間だった。
次回は12年後。
還暦パーティーでの再会となる。