これまで回覧板に注意払うことなどなかった。
そもそも地元で過ごす時間も多くない。
だから地域合同運動会というものが存在することすらわたしは知らなかった。
子育ての手がほんの少し空き、家内は地域に目を向けた。
いろいろな組織があり、さまざまな活動が行われていた。
地域のお年寄りに食事を振る舞うボランティアにまずは参加してみた。
隣家の奥さんに声をかけられたのがきっかけだった。
公民館に用意された席はすべて埋まった。
集まってくるご老人の皆が皆、この食事会を心待ちにし心から喜んでいることを知った。
以後、家内は作り手側の常連になった。
そして、そこが起点となり、町内会のお祭りの準備に駆り出されヨーヨーを作りたこせんを焼くことになり、今回は運動会の招集係を担当することになった。
いつのまにか地域の顔のような存在になりつつある。
そう言っても過言ではないだろう。
地域に対し我が家もささやか貢献できている。
そう思うと嬉しい。
わたしもいつか、という気持ちにもなる。
運動会はあらゆる地域活動のなか、集大成的な行事として位置づけられるだろう。
一枚の住宅地図に載るすべての町が参加し対抗戦といった形で優劣を競う。
結構な規模のイベントと言え参加者数もかなりの数に上る。
人口流入地域でもあるから子どもの数もやたらと多い。
対抗戦ではあるが拮抗にはほど遠く目に見えて格差が存在する。
尼信などは若手行員が全員参加であり、同じ町内には大きな接骨院もあってそこの屈強男子も加勢するから、顔ぶれを見た途端、どこが優勝するのか瞬時に分かる。
家内はその場に身を置き、様々なことを知ることになった。
近所の公園を週一回掃除しているのは地元のイタリア料理の店で働く若者たちだった。
どの公園にも掃除を買って出るボランティア部隊が存在していた。
鍼灸師や美容師が公園の清掃を買って出ていた。
こういうことを知ると親しみが湧く、というレベルを超えて、愛情に近いものが生まれる。
地域と住民をひっくるめた郷土愛のようなものが自然に芽生えそれで胸が満たされることになる。
また、たまにスーパーですれ違うだけの年配者とも言葉をかわし、コミュニケーションが深まった。
あるご婦人は男子を二人育て上げ、大学まで卒業させた。
男子二人という点で、家内の同志であり先輩と言えた。
ご婦人は言った。
試練はその先にあった。
大学などより、結婚の方が大問題だった。
男二人が二人とも嫁の尻に敷かれて見てられない。
なるほど先輩の言葉は示唆に富む。
いつか我が家の二人もそんな試練に直面するのだろうか。
蝶よ花よと育った女子が女房となって凶暴なメスカマキリに変身する。
そうなると運の尽き。
鋭利な鎌を振り回されて身をすくめる男子は例えればコメツキバッタのようなものであり、戦々恐々の日々を過ごして為す術もない。
講じるべきは将来に備えてのカマキリ対策。
勉強なんて何の足しにもならない。
人生の先輩からそう学ぶ日となった。