今日は早めに帰ってくる。
二男からそう聞いていた。
だから帰途、魚屋に寄って刺身ととらふぐ、鳥清で地鶏タタキを買った。
いずれも彼の大好物である。
カテゴリーに分類するなら、わたしは尽くす女タイプ。
自分のためにはしないことでも、息子のためなら一肌でも二肌でも脱ぐ。
帰宅するとわたしが一番乗り。
家内は買物に出かけて留守だった。
まもなく二男が戻ってきたので、先に支度をはじめることにした。
わたしはグラスにビールを注ぎ、息子はご飯を4合炊いた。
家内の帰りを待つ間、二人して夕方のニュース番組を眺めた。
会社の金を着服しブランド品を買い漁っていた兵庫の中年女性は総額2億円も使い込んでいた。
1億円の強盗容疑で逮捕された京都の中年男性はブランド品で身を固め外車乗り回し派手に遊び回っていたというが、蓋を開ければ借金だらけだった。
そんなニュースが立て続いて息子が言う。
服や鞄に大金つぎ込む人がいるなんて信じられない。
しかし、予備軍は山ほどもいる。
わたしは息子に解説を施した。
知っておかねばならないが、ブランド品には毒がある。
買う時、身につける時、人に見せる時、毒の作用で脳内麻薬が分泌されて、その恍惚はクセになる。
他に代替なければ、その陶酔が文字通り病みつきになって、やめられない、止まらない。
空虚な人ほど、そこで描き出された絵空な自画像に固執する。
つまりは悪循環。
ご機嫌麗しく、実は下降していく無限ループから抜け出られないということになる。
もちろん、捨ててもいいような自前のお金でするなら誰にも迷惑はかからないかもしれない。
実際、異なる価値の体系に属すものからすれば、ブランド漁りはお金を派手に捨てているような行為に映る。
多少目障りではあるだろうが、実害はない。
しかし、誰かのため、何かのために置いておくべきお金にまで手をつけるとなると、その誰かや何かにしわ寄せが及ぶ話であり、エスカレートすれば犯罪まであと一歩ということになる。
このようにブランドの毒は侮れない。
だからもし万一、高価なものが欲しくなったときは、いったん突き詰めて考えてみるべきだろう。
一体何を求めて自分はそれに着目しそれが欲しくてたまらないのか。
他にもっと意義あるお金の使い途、もしくは意識を向けるテーマはないのだろうか。
そのように普通の知性を働かせれば、それが魔法のバトンとなる訳もないと分かって自ずと解毒が為されるはずである。
そんな話をしつつビールを飲み終え、ワインに移ろうとするところ。
自転車の止まる音がした。
家内が買物から戻ってきたのだった。
分類すれば彼女もわたしと同じく尽くす女タイプ。
さあ荷物を運ぼう。
二男を目で促し、揃って階下に降りた。